16ヶ国目ヨルダン〜かなづちが泳ぐ〜
イスタンブールからアンマンまでは飛行機で2時間
しかし!アテネ経由で半額以下の飛行機を見つけたので即決
結局10時間以上かけて深夜便でアンマン、クイーンズアリア空港到着
毎度空港ではコンタクトジャグリングのパフォーマンス
飛行機乗って良かったです
エーゲ海の空はとてつもなく綺麗でした
光の中を飛んでいるような雲の平原
照らす夕陽を眺めて心の中で呟いた言葉
「やけに静かでな
空が本当にきれいなんだ
ずっと 高い所を不思議な雲が
一筋 流れていてな
ベルリーニ 無事だったのか
ベルリーニ 待て どこへ行く?
ベルリーニ 行くな!
ジーナをどうする気だ
俺が代わりに行く」
はい、紅の豚のポルコでした
僕の特技はジブリのほとんどの作品の名シーンを暗唱できることです
ヨルダン(Jordan)🇯🇴
人口:9,710,752人
面積:92,300k㎡
首都:アンマン
言語:アラビア語
通貨:ヨルダンディナール(JD)=約160円
物価:★★★★
相変わらずタクシーにメーターはありません
値段交渉が面倒なのであんまり使いたくはありませんが、アンマンの中心部ダウンタウンには、空港から直通バスがないので
エアポートバス3JD
7thサークル着
タクシー4JD
でホステルへ向かいます
今回のホステルは日本人に有名なクリフホテル
アンマンでもうひとつ有名な日本人宿にマンスールホテルがあります
少しこのホテルについて話しておきます
2004年 このクリフホテルに泊まっていた日本人が香田証生さんです
彼は危険を承知でイラクへ入国し、その後アルカイダによって拉致されます
アルカイダの要求は48時間以内に日本自衛隊がイラクから撤退すること
日本はこの要求を拒否、香田さんは斬首という形で亡くなりました
そのチケットを取ったのが当時クリフホテルの従業員であったサメールさん
彼は罪の意識に苛まれ、自ら新しくマンスールホテルを創業し、別名としてコーダホテルと名付けました
そんな理由もありこの2つの安宿は日本人への待遇が特別いいと聞いていました
結果そんなにいいホステルだったかと言われれば、んーって感じですが、それは僕がヨーロッパから来たということもあるかもしれません
コーダホテルを選ばなかった理由はあんまり今は日本人に会いたいと思わなかったからです
朝からチェックインさせてもらい少し仮眠をとって旧市街をぶらぶら
シタデルの丘に登ってのんびり夕陽を眺めます
夜のダウンタウン
活気があって歩いてるだけで楽しくなります
大好きなバザール
こういう現地のバザールで、見たことのない魚やおばけ野菜を見てると、異国にいるんだなーと感じます
体調がトルコからずっと良くないのでホテルへ戻ります
2日目
死海観光
この時期に死海?って感じですよね笑
ペトラ遺跡の方が人気で見応えもきっとあります。
高いんです
ディスニーランドよりも高いです
観光客はヨルダン人の50倍取られるそうで、観光客ぼったくりがあからさま
加えてつい先週土砂崩れでニュースになったのもペトラ遺跡です
観光客は無事避難し、現在は復旧されていて客足も戻っているようですが、できれば万全な時に見たいです
さて!ということで死海に向かいます!
アンマンの旧市街は広くてバスターミナルがあっちこっち遠いので大変
一見何も無い駐車場らしき所から死海近くのラーマまで向かいます
値段は1JD(荷物を席に置いていると2JD取られるので椅子の下に置いとくといいです)
ラーマからタクシーで4JD
交渉次第ではもっと安くなると思います
死海にはヨルダン側とイスラエル側があり、ヨルダン側にも3つほどビーチがあります
シャワーや更衣室やプールのついているアンマンビーチが人気です(20JD)
僕が向かったのはフリービーチ!!
無料で死海に入れるなんて凄くないですか?
タクシーを降りる時に5JD札を出したらお釣りがないと言われ、コインは3.6JDしかなく、ちょっと揉めた結果5JD払いました
絶対帰りは使わないと心に決めて!!
死海〜DEAD SEA〜
まずは塩分濃度30%を味見...
...にっがい!塩辛すぎて苦い!
これは魚が住めないわけだ
実は死海は僕にとって小さい頃からの夢でした
なぜかというと
泳げないから
苦手なことは聞かれたら必ず答える密かなコンプレックス
北海道民って泳げない人結構いるんですよ
そもそもプールなんて1ヶ月くらいしかシーズンがないし、海は崖ばっかりでビーチが少ないんです
浮いた!!
息継ぎしなくても泳げる!
体育座り泳ぎという離れ業までできる!
底が塩の結晶だったりしてかなり痛いので、ビーチサンダルあった方が良かったです
アンマンビーチは賑わっているのに、ここは貸切!
屋外更衣室(ただの砂浜)で着替え、ぷかぷか浮きながら青空を独り占めしました
死海は世界で1番低い場所にあり、海面マイナス400m超!
おかげでアンマン市内と比べても驚くほど暑いです。
1時間くらいで真っ赤に日焼けしました
そろそろ肌荒れが激痛になってきたので引き上げてヒッチハイク開始
タクシーが多く、1JDでいいからと乗せようとしてきますが、「ヒッチハイクしたいだけだから」と断ってしばらく継続
あんまり車通りがない道なので10分ほどかかりました
わざわざ引き返して迎えに来てくれた日産の男性4人組
兄弟おじさん、おじさんの友達4人で帰り道
たくさんおしゃべりしていつも通り鶴をプレゼントしてお別れ
宿に帰ってシャワーで塩を洗い落とします
死海の海から出ると体がベッタベタになります
お湯が出ない!
...まぁこれくらいは想定の範囲内
いやー、まさかトルコで寒い寒い言ってたのに、炎天下で海水浴することになるとは、世界は広い!
飽きずに街をうろついてヨルダンに別れを告げます
バザールでエジプトまでの食料を調達
三日目、朝早く出発してイスラエルとの国境キングフセイン橋へ!
国境越えに関しては別記事にします
ヨルダンはとにかく死海が楽しかった〜
これからは水泳について聞かれたら
「いやー昔は泳げたんだけどね」
と答えられます
アジアの玄関イスタンブール滞在記1
旅人の多くは印象深い街を聞かれるとイスタンブールの名前を上げます
アジアでありヨーロッパであるトルコ
西周り東周りどちらからきてもこのトルコに入ると、アジアに来たんだな(ヨーロッパに来たんだな)という感覚を味わいます
トルコ(Turkey)🇹🇷
人口:75,627,384人
面積:783,562k㎡
首都:アンカラ
言語:トルコ語
通貨:トルコリラ(TRY)=約20円
物価:★★
さて、トルコ滞在は2回に別れます。
イスタンブールを拠点にしてイスラエルエジプトなどに行くためです
旅に出る前から中東を回りたいと公言してきましたが、ひとつ大きな問題がありました。
シリアとイラクのビザ問題です
ビザというのは出国側、入国側、国籍取得国3つの国の許可が必要です
自分は大丈夫だから入れてくださいとはならないわけです
シリアとイラクは日本の外務省危険度マップが真っ赤で即時退避の勧告がでています
もちろん知ってはいたんですが、ISの掃討完了宣言が出ていたので、入るまでに危険度が落ち着かないかなーと密かに願っていたものの相変わらず真っ赤です
可能性があるとすれば3つ
1.スペインポルトガルからモロッコへ入り元フランス領アフリカを通るコース
2.キプロスを経由して海路で入るコース
3.イラククルディスタン地域から無政府ビザで通り抜けるコース
結果は
1.モロッコからはアフリカ経由国のビザが高すぎる&イタリアギリシャに来たかった
2.キプロスが南北分裂しており通過、または経由して第三国への入国が禁止されている
3.クルディスタン政府は現在日本人にビザを発券しておらず、取れたとしてもイラク政府が未許可
国境の緩い陸路を偽装しようものなら最近ニュースにもなった日本人のようなことになるのでジャーナリストでもない僕には論外
ということでエーゲ海周辺を担当しているエーゲ航空を使ってトルコを拠点にヨルダン、イスラエル、エジプトを回ってきます
まずはイスタンブールを観光
5泊6日もいたので長いですよ!
イスタンブールの旧名はコンスタンティノープル(東ローマ帝国)
周囲を海に囲まれた天然の要塞
海峡を封鎖し、当時最も堅固な城壁を誇っていたこの都市はどうやって落とされたのか
オスマン帝国のメフメト二世が、正攻法で突破は不可能と悟り捻り出した作戦は船の山越え
コンスタンティノープル対岸には小高い丘があり、メフメト二世の艦隊は対岸から見えないように細心の注意を払い木の板に油を塗って艦隊を陸路移動
補給船がいつも通り海峡を渡ろうとすると、封鎖していた海峡内に艦隊が並んでいたという、世に言うオスマン艦隊の山越え
これを高校時代に聞いた時は鳥肌がたちました
東ローマ帝国のカトリック教会として建築された後、オスマン帝国によってモスクに改修されます
そのため、外はモスクなのに中はキリスト教の内装という世にも変わった宗教建築
ホステルがここから徒歩3分だったので毎日アヤソフィアとブルーモスクを眺めて街へ向かっていました
グランドバザール
内部に数十の通りがある屋根付きバザール
ランプや貴金属がたくさん
見る分には楽しいのですが、偽物が沢山なのでお土産を買う際には向かないでしょう
ドミトリーで同室だったアメリカ人が、ここで高い指輪を買って指真っ青(着色)になってました
値切ろうとしたら「ここは本物しか置いてないからこれ以上安くはできない!」と言われたそうです笑
こちらは少し歩いてエジプシャンバザール
トルコの名物菓子ターキッシュデライトとスパイス類が多く並んでいます
ターキッシュデライトの詰め合わせを買って食べ歩き
ターキッシュデライトはこんな感じ
訳すと''トルコの喜び''
このあとバザール内のトイレで僕は左手を犠牲にします
トルコを初めアジア各地ではトイレットペーパーがないトイレがほとんどです
トイレットペーパーがないなんて日本では信じられないと思いますが、代わりに蛇口とバケツが置いてあります
察してください...
手動ウォシュレットとポジティブに言っておきましょう
この時の好奇心とも喪失感とも言えない感覚は1日続きました
とりあえずアジア人としての洗礼の儀式は無事済ませたという報告です
金角湾にかかるガラタ橋を渡ってヨーロッパ側ガラタ地区へ
ガラタタワー
展望台からの夕陽
アジア側を一望できる大人気のスポット
ちょっと早めのクリスマス気分♪
ガラタタワーからドルマバフチェ宮殿へ向かう一本道は、ブランドショップやレストラン、ストリートパフォーマーが並ぶ長い長い歩行者天国
子供たちが飛び乗っていくんです
見てると本当にアジアを感じる風景
バザールでも子供たちが配達したり店番したり
観光地から生活感を感じられるのがヨーロッパとの違い
夜のガラタ橋から撮影
ガラタ橋は珍しい2段構造になっていて、上は車道、下はレストランが並んでいます
上階の歩道では数百人の釣り人達が朝から晩まで釣りをしています
その間隔わずか1m...よく糸絡まらないな...
2日目街へ向かっているとトルコ人2人に声をかけられティータイム
話しかけられた理由は僕の内股なんですが、日本人だと言うと大喜びで色々案内してくれました
1人は六本木在住のケバブ屋さん、1人はイスタンブールの俳優さん
会話は日本語です
トルコ人は日本が大好きです
言葉も文法が似てることもあり日本語が堪能な人が多いです
まぁイスタンブールに限っていえばビジネス面での影響が大きいです
基本的に声をかけられたりお茶するとなると、お店の2階や奥の事務所に連れていかれ、最終的に商売の話
というパターンが多くてあまりおすすめはしません
それがめんどくさくなければイスタンブールではいつでもトルコ人とお茶を飲んで楽しく過ごせます
僕は毎日いろんなお店といろんな人に誘われてアップルティーを飲んでました
彼ら2人は商売人ではないのでホスピタリティに溢れた根っからのトルコ人で日本へ荷物送るのを手伝ってもらったり、公園で一緒にビールを飲んだりケバブをご馳走になったり一日中付き合ってくれました
トルコ人のおせっかいは旅人界隈でかなり有名なので、皆さんが旅行中に話しかけられても、他に用事がある時は素直に断りましょう
帰ってベッドに戻ると来客
三日目
ブルサ観光
ブルサという街はあまり有名ではありませんがオスマン帝国の首都だった歴史ある街です
前日オススメされたのでツアーを使って行ってきました
40人乗りの満席バスに日本人は1人だけ
心細くバスの外を眺めていると、隣に座っていた同い年くらいの女性がチョコをくれました
僕が簡単に餌付けられた女性は、パレスチナ人のラナ
お母さんと旅行中で、英語が上手なのはカタールの大学に通っているから
ガイドの通訳をしてもらったり、おしゃべりしたり一緒に小さな折り紙で鶴を作ったり、ラナのおかげでバス移動も暇しませんでした
ブルサはスキーヤーにも有名な街で、ウルダー山という山があります
ここは頂上へリフトで登ってからの景色
雲の上なので天気も良く一面の雲海を眺められます
ただ...寒い!!!!
リフトを降りてサウジアラビアからのおじいさん達と記念写真
途中まで降りるとそこは雲の中。
ゴンドラも何も見えません
このゴンドラでは二家族と同席になり、子どもたちにマジックを見せて遊んでました
手が冷たくて擦っていたらお父さんがマフラーと手袋を貸してくれました
ブルサの街中にあるお土産屋さんのランプ
ランプがあるだけでお店の雰囲気ががらっと変わるトルコの不思議
自由時間に迷い込んだバザール
万国共通歌うような大声で魚、野菜、タバコに雑貨などが売られています
じゃがいもが3キロ40円っていう恐ろしい安さだったけれど、持って帰るのは大変そう
帰りはフェリーも使ってのんびりイスタンブールへ
トラックの運ちゃん、パキスタンの大家族、みんなに呼ばれていろんな席にお邪魔してお菓子つっついてました
気づけばバスの中の半分以上は仲良しになり、みんなと順番にお別れをして宿へ
シャワーに入って温まるも、これは完全に風邪ひいた
四日目五日目は土砂降り
雨ばっかりでも要所要所で晴れてくれてるので天気に恵まれてると思ってます
夜はトルコ人俳優カヤさんにディナークルージングに連れていってもらう予定で、予約もしていたんですが
雨のため中止
これがイスタンブール1番の心残り
とはいえ、その夜から高熱にうなされ動けずにいたので、雨の中無理をしなくて良かったです
五日目、今日が最後と力を振り絞って近場を観光
トルコ人みんな大好きなスープ
かぼちゃのスープかな?レモンを絞ってパンをつけて頂きます
アヤソフィアの隣にある地下宮殿
体がだるいのであとはほとんど宿で寝ていました
イスタンブールは食べ歩きがオススメです
おばけじゃがいもの中身をペーストにして好きなおかずをのせていくクンピール
皆さんご存知ケバブ
ケバブと言うと基本的にはサンドではなく定食のような形で出されます
金角湾の魚達、特にサバサンド!
どれもお手頃な値段でお腹にも溜まるので、宮殿やモスクを眺めながらお腹と目を楽しませましょう
戻ってきて天気がよければ、エフェソス、パムッカレ、カッパドキアどれかに行ってみようかなと思っています
リアルタイムヨルダンのアンマンからでした
アフリカが世界一周ルートに向かない理由
結論から言うと、今回の旅ではアフリカを諦めることにしました!
今のところこの旅で1番の苦渋の決断です
以下諸々と断念に至った理由なんかを書いていきます
まず、アフリカは僕の中では今回のメインの1つでした。そもそも世界旅行を始めようと思ったきっかけはコンゴでした
コンゴにオナトラという船があります。危険なことで有名であり、そのため世界中のバックパッカーの憧れの船とも言われています
いかだのような鉄板を繋いだ粗末な船で、現地人がそこに住みながら、歩くよりもゆっくりとコンゴ川(旧ザイール川)を航海します
その不定期さと2週間とも2ヶ月とも言われる長い期間が旅人の好奇心をくすぐる訳です
もちろんアフリカに行くならケニアやエチオピアも行きたいし、タンザニアのサファリも見たい、キリマンジャロも登れたらいいなー、とリストアップしていたら到底この短い期間では回りきれないということに気づきました
時間に関しては個人的な問題ですが、全バックパッカーの前に立ちはだかるのが、ビザ問題とそれに伴う金額問題
日本のパスポートの格付けは現在世界トップで、ヨーロッパをはじめ多くの国にビザ無しですんなり入国することが出来ます
アフリカを除いて
物価と全くリンクしていないビザ代金は、調べたところで大体どの国も50~80ユーロ(6500円~10400円)
これが少なくとも4、5ヶ国分と考えると大きすぎる出費
加えて、サファリやキリマンジャロ、砂漠といった観光客向けツアーが驚くほど高い
キリマンジャロの登頂だけで10万以上かかります
そして厄介なのがアフリカの国境。アフリカは多くの国がフランスイギリスの植民地であったため民族や宗教を無視して国境線が引かれています
これがたくさんの紛争を引き起こしてきたわけですが、未だに多くの国境では安全が確保されていません
南下はできても北上できなかったり、盗賊がでる山があったり
どうしても見たい国を絞って飛行機で行くルートも考えました
この飛行機がまた高い。アフリカがでかいことを考慮してもあまりに高い運賃
アジアから入るとしても、日本から行くのと大して変わらない値段です
アフリカにこれから何度行くチャンスがあるか分かりませんが、気軽に行ける地域でないのは確か
もし行くなら後悔しないようにアフリカを味わいたい!
そんなことを合わせて考えた時に、この旅ではないなと判断しました
ヨーロッパ周遊中に「なんでそんなに急いでるんだい?」とよく言われました
自分でそれほど急いでいるつもりはなかったんですが、よく考えると、オーストリアにいながらドイツのことを考え、イタリアにいながらギリシャのことを調べ、確かに不思議なことをしているなと気づきました
これが最後の海外旅行でもないわけだし、もう少しその土地に足をつけて旅をしよう
急いでいたのは、どこかで他のバックパッカーと比べていたんだと思います
観測バイアスというか、旅をしようと思ったり実際にドミトリーで世界中の人に出会ったりしていると、世界一周がすごく身近で当たり前のように感じてくるんです
そうすると自然と自分の旅の価値も薄れていって、他の人とは違う場所に行かなきゃ、他の人よりたくさんの国を回らなきゃ、と焦りを感じていました
よく考えてみたらそんな競争とは全く逆のことをするために来たんだよな。と気づきました
少なくとも出発までに感じていた高揚感は、パスポートにスタンプコレクションをするためのものではありませんでした
ということで風のむくまま気の向くまま、無理せずアフリカはエジプトだけよってアジアを満喫しようと思います
アジアもアフリカに引けを取らない未知の世界なので楽しみです
まだまだ始まったばかりの旅ですが、次の旅がアフリカ周遊になることは決まりました
せっかちなので来年大学の卒業単位が終わる秋に行こうと計画中です
アフリカの旅話を楽しみにしていた方、情報をくれた方、申し訳ありません
諦めた訳ではなくより濃密なアフリカ旅行にするための延期なので、必ず行きます
もう少しだけ待ってやってください
メテオラーテッサロニキ【ヨーロッパから夜逃げ】
ヨーロッパ最後の国ギリシャ、アテネの観光も終わり、数えてみればちょうど1ヶ月と言ったところでヨーロッパを抜けることになりました
アテネの古代遺跡を眺めヨーロッパの思い出に浸っていた時、ふと思い出したのがメテオラ
せっかく陸路でイスタンブールへ向かうなら寄っていこう!ということでアテネから深夜特急(言いたかっただけで特急じゃありません)にのり最寄り駅カランバカへ
出発してから気づきました
リュックロッカーに忘れた…
まぁそういうこともありますよね。ヨーロッパから飛び出る計画が立って気が抜けていました
夜行なので降りることも出来ずとりあえずはカランバカに向かいます
乗り換えを逃す…
めちゃくちゃ寒かったんですよ
だから電車が来るまでと元の車両に乗って本を読んでいたらいつの間にかホームは無人
The train just going
(受験生のために正しい英語=The train has just gone)
この言葉を聞いた時のこの感覚
友人曰く僕は悪い意味の楽観主義なので、この時少しワクワクさえ感じました
さて、次の列車まで3時間無人駅で何しようかな
日本ではこの光景まだ見られるでしょうか?
本当に誰もいないんです
駅前も何もなし
もうしばらく味わっていなかった一人ぼっち
名前も読めない駅に降ろされ人影のない異国で3時間
結局本を読んだり日記を書いたりして過ごしました
持ってきた本全部読み終わってしまった
早く日本人バックパッカーに会って交換したい
移動時間もそうですが、旅行中は結構暇です
毎日が日曜日、飲み会も遊び相手もいません。WiFiがなければ携帯で遊んだりsnsもありません
そうなると食事が唯一のスケジュールですが、僕の場合はそれもほとんどないので1日18時間は観光に回せることになります
とはいえ18時間歩く訳にもいかないので休憩したり宿に早く戻ってこの記事を書いていたりします
思い出話をひとつ
大学時代、毎日の退屈な生活に刺激不足を感じてなにかしようと思いました
でもお金はない。ヒッチハイクでどこか行こうにも大学の出席日数もギリギリ
そこで思いついたのが断食です
11日間水のみで生活してみました
4日を過ぎるとお腹がすかなくなり、五日目からは感覚が鋭くなります(特に嗅覚と色覚)
走れなくなるので階段なんかも手すりを持ってよたよたのぼります
その11日間を経て何を学んだかと言われれば、「食事をしないと時間が余る」ということです
一人暮らしで食事を作る時間、食べる時間、片付けが×2回
大学の昼休みも何をしていいかわからないので読書か映画でも観るかということになり大いに捗りました
そのくらい食事というのは一日の時間をとっているんです
念の為、もし10日以上の断食をするという方は断食明けの食事に注意してください
食道がブランクで弱っているので食欲に任せて固形物をとると腸捻転を起こし最悪の場合死に至ります
戦争捕虜やホロコーストでも解放後にたくさんの人が腸捻転で亡くなっています
僕は3食をスープ、おもゆ、あかゆの順に慣らして行きました
話を戻すと駆け足に見えて時間はたっぷりあるので、それなりに余裕を持って観光しています
カランバカやっと到着です
日本人かい?と話しかけてくれたタクシーのおじちゃんに乗せてもらいまずは頂上のグランメテオラへ
日本人が好きだというおじちゃんのタクシーにはポラロイド写真が1列
色あせ、光沢が剥げて殆どは顔もわかりませんが日本人を沢山乗せてきたと
このおじちゃんニコラにはこのあと何度も声をかけられることになります
僕が頂上から山を下る間ニコラが何度もほかのお客を乗せてグランメテオラに向かうからです
ともー!とクラクションを鳴らして3往復。しまいには駅前のカフェで電車を待っていた時にも後ろから「ともー!バーイ!」
文章では伝わりませんが南欧の人の「とも」の発音が好きです。「も」にアクセントが来て伸ばし棒がつきます
「お父さん」のお父部分と同じアクセントです
はいどうでもいいですね
そろそろメテオラの説明をします
山なのかな?くらいは皆さん察しがついてると思います
メテオラとは切り立った岩山に建つ6つの修道院のことを言います
その最大の修道院がこちらのグランメテオラ
駅まで山道を9km、修道院は離れて別々の岩に建っているのでしっかり登山レベルです
歩いている人は僕以外に見かけませんでした。みんな車かバスツアー
何故こんな地形なるのか、なぜここに建てたのか謎は深まるばかりです
修道院に入るには各3ユーロが必要なので中に入ったのはグランメテオラだけです
チャペル内の壁画が聖書の内容ではなくキリスト教の迫害の歴史なのが印象に残りました
ここの猫は修道院の観光客に餌付けられているのか人懐っこいです
絶景
絶景絶景
夜行列車は寝れなかったので気づけば寝ていました。
観光客に写真を撮りまくられて起きました
そりゃ寝返り打ったら即死みたいな場所でアジア人が寝てたら僕でも写真撮ります
山道を下ること2時間ほど、疲れたのでギリシャ名物ムサカを補給
ポテトスライスの上にナスとミートソース、やわらかなチーズで焼き上げてあります
美味しかった〜。素材だけ見ても美味しくないわけがない組み合わせです
ロッカーに残してきたリュックを拾い、再び夜行列車に乗ってギリシャ第2の都市テッサロニキへ
特に観光はしてないんですが海を見てきました
街中には野良犬が沢山。首輪が着いているのでおそらくワクチンを打たれているはずです
この子達が立つのもやっとのガリガリなくせに、近寄ってきておねだりするんです
殺処分をいつも可哀想だと思ってきましたが、これはこれで辛くなりました
夜行バスでは最長の10時間をかけてトルコイスタンブールへ向かいます
ヨーロッパは僕の中では旅行でした
なんとなく刺激が足りないというか、生活が見えないというか、一通り歴史を眺められて満足といった感じです
なのでヨーロッパから出るのはとても楽しみです
ヨーロッパ程コンスタントにネットは繋がらないと思うので、まとめて投稿することも増えると思いますがたまに覗いて見てください
13日間放置されているロッカー
中に何が入っているか気になります
それではいってきます
貧乏旅でもギリシャを楽しむアテネ本島観光
“親切にしなさい。
あなたが会う人はみんな、
厳しい闘いをしているのだから“
プラトン(紀元前427年~紀元前347年)
かなり序盤から、ヨーロッパからの出国はイタリア→ギリシャ→トルコと決めていました
理由はただ単に歴史好きなことと、ジブリ大好きで紅の豚が飛んだアドリア海を回りたかったというだけです(好きなくせにお金無くて舞台になったザキントス島いけませんでした)
ローマも紀元前からの歴史を持つ大国ですが、それさえ凌ぐ遥か古代文明ギリシャ!
有名なところではソクラテスやプラトン、トロイの木馬やオリンピックでしょうか
星好きな人はギリシャ神話が先に出てくるかもしれませんね
実は大学で古代ギリシャ語を勉強したんですが、真面目にやらなかったせいでほとんど忘れました
そして古代ギリシャ語とかラテン語って本読むための授業なので会話なんてもちろんさっぱり
不安だらけの13ヶ国目ギリシャです
ギリシャ(Greece)🇬🇷
人口:10,815,197人
面積:131,957k㎡
首都:アテネ
言語:現代ギリシャ語
通貨:ユーロ
物価:★★★
皆さん記憶にも新しいでしょうが、ギリシャは2010年に財政赤字の隠蔽が発覚してからデフォルトの危機を何度か迎えながらも前進中
もし緊縮財政への否定派多数であればユーロが使えなかったかもしれません
よかったよかった
さて
イタリアーアテネは当初アドリア海をフェリーで1日かけて渡るつもりでしたが、調べてみると遥かに飛行機の方が安い・・・
しかもローマから港町バーリへ、ギリシャの港パトラからアテネが24時間以上かかるのに対して飛行機は1時間半
今回は安さと時間で飛行機に乗って楽をさせていただきます(フェリーの予約が遅すぎて7日の便が取れなかったのは内緒)
飛行機に乗って待つこと1時間
機体の不良により別の機に乗り換え
結局2時間遅れてるものの、特に申し訳なさそうな顔もなし
うん、いいんだけどね。分かってたし日本が特有なのも分かるけどなんだろうこの違和感
アテネ到着です
ギリシャ文字翻訳アプリが使えないのが痛い
イタリアほどの狂乱物価ではないものの、それでもヨーロッパ
節約のためカウチサーフィンで生粋のギリシャ人Poluxronisに連絡しました
「仕事が忙しくてどれだけ一緒に時間過ごせるかわからないけど、それでも良ければ歓迎だよ」
またもや1発成功!
カウチサーフィンといえども登録しているのは一般人。仕事や予定が入っているのは当たり前なので、普通は同時に何人か連絡しておくそうです(知らなかった)
到着が大幅に遅れたので1日目は観光せずにPolの家へ
車で近くの駅まで迎えに来てくれました
カウチサーフィンのプロフィールによると、クラブとダンスが大好き、仕事はテニスコーチ、趣味は絵を描くこと
あれ、全然共通点ないけど大丈夫かなこれ
大丈夫でした
偶然にも会う人会う人日本のアニメが大好き
正直ここまでとは思いませんでした
海外留学やバックパッカーを予定中の方は、有名どころのアニメは見ておくのオススメします
ジブリもほとんど鑑賞済み
木の板と塗装、シールと内部はPCのエミュレータで作った自作アーケード…
ギリシャに来たのにホーム感が強すぎる!
Polは去年夏来日して、東京大阪京都を2週間かけて観光したそうです
今すぐにでも住みたいけど、日本語でテニスのコーチは出来ないから
とかなり本気の日本好き
仕事終わりで疲れているにもかかわらず電車では行けないアテネの海岸Glyfadaに連れて行ってくれて、ソウルフードギュロスまでご馳走になりました
もちろん食べている間もPolの日本愛は止まることなく
「日本のトイレは世界一だよ!日本にいた時はほとんど全食ラーメンだったな〜。俺は悟飯が好きでセルとの戦いは最高だよ!だからチチが憎い、なんで悟飯に勉強なんてさせたんだ!」
Polは冬場ダブルワークに忙しいのでカウチサーフィンは断っているとのこと
「正直言うと日本人じゃなければ断ってたよ。日本人は優しくて去年たくさんお世話になったからね」
こういった国の印象はやはりそこに住んでいる人一人一人で決まるもの
たった一人駅で困っている人を助けてあげた。それがその人の日本人、日本になって周囲に広がっていきます
現に僕はここまでヨーロッパを回ってきてそう感じます
だからこの場を借りて日本の皆さんありがとうございます
旅の間たくさん助けられるのも皆さんの優しさが帰ってきているわけです
そろそろ、観光に行きましょう
Polが朝のテニスコーチと午後のエンジニアの仕事の間を使って案内してくれました
アテネの竹下通り
並ぶ店や雰囲気までほんとにそっくりでビックリしました
途中若い女性とおじさんが血だらけで喧嘩している所に遭遇しました。これはさすがに竹下通りにはない
竹下通りの気分でアイスクリーム
向こうはクレープか
Polがこのお店に似合わない笑
地元の人が集まる階段カフェ
ギリシャ人は急ぐことが嫌いなのでコーヒーを飲む時は必ずカフェで座って飲むそうです
せっかくなのでチップについて少し触れておきます
ヨーロッパではカフェやレストラン、ホテルなどで会計の5%から10%ほどをチップとしてウェイターやホテルマンに渡す習慣があります
カード支払いの場合でもテーブルや帰りの際に直接渡します
%は目安なので基本は端数切り上げくらいを払っておくのが自然です(3.5ユーロのコーヒーに4ユーロだしてお釣りをあげちゃう)
ただし、明らかに観光客だらけのカフェや屋台、スーパーの場合はチップは必要ありません
僕はお店で食事することがほとんどないのでチップを渡すこともそんなに多くありませんが、渡さなかったり金額に対して嫌な顔をされたことはまずないので、ちょうどいいお釣りや小銭がなければ、無理する必要はないと思います
さて晴れ男Polがいなくなった途端どしゃ降り。雷がかなり近いところに落ちて来たので危ないとは思いつつも木の下で雨宿り
猫ちゃんを発見
一緒に雨宿りするかい?
おいで
カッパの中に入れてあげました
雷に怯えるソクラテス(←勝手に名付けました)
向こうは猫なのでまぁちょうどいい雨宿り先くらいの気持ちでしょう
雨が上がり、ソクラテスは街の方に行くようなのでお別れして丘をのぼります
ヨーロッパにいる間ずっと気分はジブリなので猫の恩返しに期待したり
道がすごくアテネらしい
アテネと言ったらまずはこれ
多くのソフィストたちが登壇したであろうデュオニソス劇場
信仰深いところに行くと毎回雨が上がるのは偶然でしょうか
アテネの街並み
高い建物が少ないので統一感がありいい眺めです
あとでPolに聞いたら「お金が無いだけでしょ」と言ってましたが、たぶん違います笑
アクロポリスを降りる途中で懐かしい匂い
体に染み込まれた故郷の匂い
塩ととうきびの相性が抜群
落書きだらけのアテネ
小学校だろうが電車だろうがお構い無しです
夕陽を見ようと違う丘に登ってみます
日没を待って座っていると小さな女の子がやってきてロシア語で話しかけてくれました
もちろん日本語で返します
女の子は気にせずにこにこしながらカバンからおもちゃのスマホを取り出します
かわいいね〜お電話するの?
女の子がスマホを操作しながら(なぞってるだけ)画面についたアイコン型のボタンを押すとロシア民謡か子供用アニメなのか楽しげな曲が流れます
歌ってというと恥ずかしそうに小さな声で口ずさんでくれました
写真撮影をしていたお母さんがやってきたので、いつか日本にも遊びに来てね。と伝えてお別れ
残念ながら雲が消えず夕陽は見れませんでしたが、街に灯る明かりは綺麗でした
いくつか広場や通りを見学して11時に仕事終わりのPolと合流
夜景が綺麗だったと伝えると、もっと綺麗な場所があるよと車で連れて行ってくれました
アテネで1番高い丘の1番高いところ
時間が遅いこともあって展望台を独占
最高の夜景でした
ギリシャはのんびりと時間が進みます
町中を健脚にまかせて歩き回るのもありですが、たまにはこんな観光もいいな〜とアテネが大好きになった2日間でした
「歩瑠」に当て字の習字をプレゼントをしてアテネを後にします
アテネも必ずもう一度来よう
今度は夏にサントリーニ島やミコノス島、ポルコ(豚)のザキントス島を船で回って星を眺める
夜は星空が綺麗なPolの家のバルコニー
次に向かう先はメテオラ
イタリアの秘境滅びゆく町への行き方【チヴィタヴァーニョレージョ】
チヴィタバーニョレージョ
ローマとフィレンツェの丁度中間に位置するこの町は、「捨てられた町」「滅びゆく町」と呼ばれ、冬季の住民はわずか12名と言われています
霧に包まれると町全体が空に浮いているように見えることから、日本では「天空の城ラピュタ」として紹介されることが多いようです
(公式発表ではないはずです)
そんな話を聞いたらもう行くしかない!
ということで行ってきました
チヴィタへのアクセスは電車とバスを乗り継いで行くことになりますが、なんといっても情報が少ない!
調べたところ2007年や2010年の情報がごろごろ、バスの時間はころころと変更されるため注意が必要ということだけわかりました
そして公式の時刻表は実際と異なる、イタリアなのでもちろん時間通りには来ない、という三重苦
…頑張ります
今回はローマから日帰り旅行で向かう場合の情報を残しておきます(2018/11/06)
ローマ→(電車)→オルヴィエート→(バス)→バーニョレージョ→(徒歩)→チヴィタ
いくつかブログを眺めたところ早朝に出発しなければバスに乗れないとありましたが実際のところそんなことはありませんでした(シーズンによる可能あります)
ただこのバス、スクールバスで日曜日には運休なので日曜日に公共交通機関でチヴィタへ行くことはできません
どうしても日曜日を狙う場合はヒッチハイクで頑張りましょう
起床は6時
のつもりがのんびり起きて7時
前日の夜に仲良くなったイタリア人のアンドレアに誘われ、ローマ人の朝食クロワッサンとエスプレッソをいただきます(クロワッサンをコーヒーにつけて食べるんですよ)
軽食の場合はバーカウンターで食べることが多いようです。店員や集まった近所の人とジョークを交わし、世間話なんかをする集会所ですね
アンドレア
準備をしてテルミニ駅に着いたのは9時20分
まずは電車でオルヴィエートへと向かいます
テルミニ駅のインフォメーション(みどりの窓口)は機能していません
番号を発券して順番に呼ばれる仕組みですが、まったくスタッフが足りず朝と夕には30分以上待たされることになります
、ということは昨日の時点で知っていたので自動発券機へ
オルヴィエートへの電車少ない!
次の便が10時半ですが17ユーロと高めの特急車
んー、でもバスに乗れなければ本末転倒だししょうがない
時間つぶしに1時間ほどガーナのお兄さんとおしゃべり
東京で6年間働いていたので日本語が上手ですが、僕が下手くそなので英語で会話
「ローマはなんでも高くて嫌になるね。電車もバスも全く来ないし、昨日は5時間待たされたよ。それに比べて東京は1分遅れただけで謝るくらい時間厳守だし、物価が高いイメージがあるけどいざとなったら吉野家があるしね」
うん、うん、うん、うん
頷くしかない。そうなんだよね。トイレもタダだし、安く済ませようと思えばいくらでも出来るのが東京
ヨーロッパはいまだに黒人差別が根強く残っているため、明らかな経済格差が街の至る所に見られます。
ガーナの兄さんは日本は働けば褒められるっていう事に感動したみたいです。
その後主にアメリカの黒人差別について熱く語り気がつけば10時15分
プラットフォームに到着。電光掲示板の表示はなし
時間を確認すると10時32分
・・・
ローマテルミニ駅(観光の場合中央駅)の南口の時計は10分近く遅れています
気をつけてください!
落ち込んでも始まらないのでもう一度券売機へ!次の電車は45分!これなら行ける!
発券して今度こそプラットフォームで待とうと電光掲示板を凝視
ない…
いやないはずはない…
とりあえず40分になると同時に45分発の電車を順番に尋ね回る
No.
No.
No.
3つとも断られてポカン
券をみせて確認してというと、電光掲示板で確認してと突き放され
いやだから電光掲示板にないの!と泣きつくも、インフォメーションに聞きな
だからインフォメーション並びまくってるって!
もう本当仕事しないことにかけては国の規模関係なく断トツの質の低さ
あーあ、天空の城が電車賃とともに消えていく、ゴリアテかタイガーモス号でもないかな
と途方に暮れているとおじちゃんが助けてくれました。
チケット見せて。うん、ここテルミニ駅だからね。よく見てご覧。出発がTiburtina駅になってるでしょ。地下鉄で4つ先だから連れて行ってあげるよ
ほんとだ!
なんでテルミニ駅の券売機で別駅からの券が出てくるのか(目的地しか入力する欄はありません)
しかもメトロを使う旨の注意も出なかったしこんなの気づくわけ
おじちゃん日本のサッカーリーグチーム全部暗記してました。
最後には4人も子供いるから何かくれないかといつものパターン。知ってたけど今回は本当に助かったから2ユーロプレゼント
焦ってメトロの切符を買ったお店では5ユーロお釣りを誤魔化されて(その場で気づいたのでちゃんともらいました)もう怒りというより呆れ、、、
もちろん買った切符は乗り過ごしていたので追加料金を払って便変更
結果的にローマを出発したのは12時20分
オルヴィエートに到着したのは13時45分となりました
この時にはもうヒッチハイクでもいいかと思っていたので、のんびりとバス停へ
オルヴィエートのバス停は調べたところケーブルカーの上旧市街とありましたが、駅をおりた広場で大丈夫でした
イタリアのバスのチケットはTマークのトバッキ(タバコ屋さん)で買うことができます
※オルヴィエートでは往復分のバスチケットを買ってください。バーニョレージョにはトバッキがないという話もあり少なくともチヴィタ周辺では見かけませんでした
本命のバスはあるかなと確認しに行くところで同じ目的のカナダ人デイヴィッドと出会う
すぐに青いでかいバスが来るからと言われほんとにすぐ来ました(危ない)
そこからバスで1時間と少しかけてバーニョレージョのガリバルディ通りにつきます
あとは簡単、上り坂をひたすら20分ほど直進し続けます
道なりに何度かChivitaの看板があるので迷うこともないかと思います
到着
圧巻です
この眺めにたどり着いた時の感動はとても言葉では伝えられないのでいつか皆さんも来てください
三日間のローマ滞在で今日だけが快晴なのも運命を感じます
崖に囲まれた町
ラピュタって書いちゃっていいのかなこれ
猫が沢山
デイヴィッド
彼とは来るバスの間銀魂や進撃の巨人の話で盛り上がり仲良くなりました。カナダトロントの自転車屋さん勤務。旅やサイクリングが好きだけど、アニメはもっと好き、ついでに写真も趣味でカメラ3つ持ってきてました
オルヴィエート観光に来る電車の中でこの崖の町を見て、あまりの美しさに調べてきたそう
街並みも小さく静かで素敵です
一日中ウッドチェアに座って本を読んでいたい
この旅1番の感動でした
ほんとにこのくらいしか言葉に出来ないんですすみません
見て回るだけなら1時間もかかりません
夏場はカフェやレストランが営業しているので、もう一二本前のバスで来てのんびりコーヒータイムもいいですね
17時20分バーニョレージョ発のバスでオルヴィエートへ。19時38分の電車でテルミニ駅へ戻ります
夜9時を過ぎたテルミニ駅北側の治安の悪さにローマに戻ってきたことを思い知らされます
注意点まとめ
・テルミニ駅でチケットを買う場合は出発駅を確認、もしくは前日にオンラインかインフォメーションで買っておく
・オルヴィエートからのバスはほとんど不定期、ただ学生の数を見るに2時過ぎのバスは間違いなくあるので2時がリミット
・帰りは17時20分がローマに日帰り可能な最終バス。チケットは先に買っておくこと
・値段は電車(往復16€)バス(往復3€)チヴィタ入場料(3€)
特急車を利用する場合は片道10€ほどプラスでかかる
イタリア旅行ツアーで含まれることは多いものの、個人で行くには一苦労のチヴィタ
その苦労を遥かに超える絶景が待っているので、バックパッカーの方もぜひルートに組み込んで欲しい場所でした
イタリアには素敵な場所がまだまだあります
次にイタリアへ来る時にはワインを片手に本場のチーズと生ハムを食べながらアドリア海に沈む夕陽を眺めようと思います
茂みに隠れる子猫ちゃんでイタリアとお別れ
11ヶ国目イタリア【ローマ観光は一日にしてならず】
“全ての道はローマに通ず”
この旅もしっかり繋がっていました
ギリシャに並ぶヨーロッパの起源ローマ!
バスターミナルから宿まで歩く間に豪雨に見舞われ、やっと着いたテルミニ駅では傘売りがたくさん
荷物を預けてローマの遺産を見に行きます
街中に突然現れるローマの遺跡フォロ・ロマーノ
中央広場にあたるヴェネチア広場
茶色い遺跡の中にそびえる白の建築。大きい
少し歩いてトレヴィの泉
2016年に大掃除が終わったばかりでとても綺麗でした
建築はベルニーニです
ローマ教会の1番の売りはこの天井画です
天井画やオルクスを見るためにオペラグラス持参の方もいました
日本語では万神殿と呼ばれます
ギリシャやマケドニアの宗教を飲み込んだローマ独特の宗教観が見られますが、本来はアウグストゥスを祀るために建設されたもの
オルクスと呼ばれる天井の穴
ただの穴なのでもちろん雨も入ってきます
バチカン市国が日曜日はミサのため礼拝できないことと、もう1箇所日帰りで行く予定の田舎町も日曜日はバスが運休でした
が
かわりにカラカラ浴場遺跡は第1日曜日は無料ということでラッキー
そしてコロッセオ
こうも教科書でみた世界遺産がポンポンでてくるとリアクションがついてこれなくてボケーッと眺めてるばかりです
話しかけてくれたケニアの兄ちゃん
お前は黒人でも白人でもない!いいやつだ!ってブレスレットを貰いました
1日目は他にもナヴォーナ広場や真実の口、教会をブラブラと歩き回って宿に戻りました
真実の口は「ローマの休日」を代表するシーン。映画豆知識を挟むと、あのシーン実はグレゴリー・ペックのアドリブなんですよ
オードリーヘップバーンは脚本にない手がなくなるシーンに本気で驚いたそうです
2日目
雨のためテルミニ駅からバスに乗って12ヶ国目バチカン市国へ
公用語はラテン語、業務はイタリア語、外交はフランス語、国防はスイス衛兵、スイス衛兵の話す言葉はドイツ語
こんな所で毎日過ごしていたら頭がおかしくなりそうです
並ぶと聞いていたので8時過ぎに来たもののすでに大行列
オフィシャルスタッフが
「そこまで連れていくよ」
え?結構遠いけどいいの?
バチカン市国はよくディズニーランドに例えられるのでその感覚で行くと、エントランスからトゥーンタウンくらい
しばらく歩いて連れていかれたのはどうやらツアーガイドのお店
提示された金額は72ユーロ!!
いや、ツアーじゃなくていいんだけど
「予約してないんだろ?今から並んだら大聖堂と博物館で2時間ずつは待つことになるよ」
いや、でも72ユーロは高過ぎない?
「4時間も並んだら1日潰れるんだよ?
ツアーなら並ばずに入れるし説明を聞かなきゃ本当のバチカンは味わえないよ」
んー、本来の料金はいくらなの?
「半額くらいだけど雨が降るかもしれないから並ぶの考えたらお得だよ
別に俺に払うわけじゃないんだから」
わざわざ列まで連れて行ってくれてどれだけ並んでいるかみせてもらうもお財布事情から並ぶことに
実際の料金は学割含め、博物館=8ユーロ、サン・ピエトロ大聖堂クーポラ=8ユーロでした
時間はどちらも並んでからチケットを入手するまで55分
この2時間を長いととるかはそれぞれですが、プーさんのハニーハントに比べれば僕は全然短く感じました
おそらくオフィシャルであることは間違いないでしょうが、近所のツアーを紹介して行列回避とお小遣い稼ぎといった所でしょう
あれだけの金額なら間違いなくマージンが入っているんだろうなと思うと大丈夫か教皇庁…
さて長くなったので駆け足で少しだけ紹介します。バチカン美術館で必見の代表作品をいくつか
さて、見ながら名前が出てきましたか?
上から
・アテネの学堂
・ラオコーン
・キリストの変容
・ピエタ(写真は本物ですが博物館で見られるのはレプリカになります)
美術館とはいっても内部は巨大で、30程の博物館や美術館が集まった複合施設としてバチカン美術館と呼ばれています
全作品を見て回るには一週間かかるとも…
そして撮影禁止の最奥部システィーナ礼拝堂にはミケランジェロの最高傑作「最後の審判」や天地創造を描いた9点(アダムの創造など)
これを見に来たといっても過言ではない大作です。ルネッサンス美術に詳しいわけではないんですが、僕は想像以上に感動しました
システィーナ礼拝堂を出たタイミングで雨が止んだので、その足でサン・ピエトロ大聖堂のドーム屋根クーポラに登ります
階段で登るかエレベーターで登るかで若干値段が違いますが、エレベーターを使ってもそこから300段ほど登ることになるので大して変わりません
もちろん階段です
登り
傾き
回り
正直ドームの頂上はかなり汗臭かったんですが、雨があがってくれたおかげでバチカンからローマを一望することが出来ました
もちろん下りは同じように左右対称の階段を降りていき、到着するのは大聖堂の1階
総本山なので当たり前といえば当たり前なんですが比べ物にならないほど広く豪華でした
その後サンタンジェロ城を15ユーロで見学
正直値段には見合わないかなと言うのが感想です
中世騎士の武具防具や要塞の様子が見られます。バチカンとローマをパノラマで見られるのもここだけなので晴天の時は撮影スポットですね
どしゃ降りの雷まで降ってきたので帰ります
ドミトリーにいるのもそれはそれで楽しいもので、帰って食事を作っているとイタリア人とアルゼンチン人が混ざり夜中まで楽しく話していました
ちなみにアルゼンチンのおじいちゃんは英語がかなり片言なので2人の時はカオスです。お互い聞き取れる部分で推測しながら、何度も単語を言い換えてそれでも楽しい不思議な会話
天候に恵まれず、観光客も多く、物価も高く
苦労しました
それでも来てよかった。来なければならなかった気がするローマ
それぞれの建築物や芸術の裏側に見える数え切れない人間のエネルギーに圧倒された2日間でした
雨上がりの夕焼け