生きている世界遺産【バガン】
標識もなく、先の見えない分かれ道に立った時には誰かのことを思い出すようにしています
あの人ならきっと太陽の位置から近道を見つけるだろう
あの人なら間違いを気にせずコインでも投げるだろう
あの人なら地元の人が来るまで待って正しい道を聞くだろう
道に限らず、選択肢が多い時にはいつも誰かのつもりになって考えるのが僕の好きなやり方です
心理学で言うミラーリングの亜種ですが、積み重ねていけばきっと自分の目指す人に近づけるはず
さて、一体どこで道に迷ったのか?
バガン地区に入るためには、外国人料金25000kat(約1800円)を払わなければ行けません
お財布的に苦しかったので裏道からこっそり入ることにしました
ニュージーランドの旅人にチェックポイントの場所を聞いていたので、獣道を抜けてそれっぽい方角に向かって...
そして迷いました
誰もいない日の出に感動し、とりあえず歩いてみることにします
地図はあるんですが、こんな道載っていないので役に立たず
太陽の位置から目的の方角を見つけ、そっちとは逆の道を歩いてみることにしました
そして出会ったバガン最初のパゴダ
バガンとはミャンマーの誇る世界三大仏教遺跡郡に数えられる観光都市のこと
パゴダとはその寺院のことです
廃れている訳ではなく、ただ単に古いんです
バガン仏教遺跡郡は、古いもので1000年前まで遡ります
ただこの仏教遺跡、遺跡と言っても現役です
バガンの寺院には今でも地元の人がお祈りに足を運ぶため、危険なところは少しずつ修理しながら今に至ります
その修理過程が近代的だったり、展望台を作ってしまったりしたために、ユネスコの完全性の基準に満たず未だ世界遺産登録されていません
今改めて申請中ということで、少し前の日本の富士山のような立ち位置ですね
辿り着いたのはある集落
ここのおばちゃんが村を案内してくれると言うので見て回ります
写真をとってもいいからね。ほらここ!写真撮っていいのよ?
と、なんだか突然観光ビジネス臭がしてきました
別に見れればいいんだけど、どうやら写真を撮るまで続けそうな勢いなのでとりあえずパシャリ
92歳のおばあちゃんも糸を紡ぐ姿を見せてくれたり、とうもろこしタバコをふかしてくれたりサービス精神旺盛です
ツアーガイドへのチップに70円(1000kat)払ってバガンの街を目指します
んー、どうやらここからまだ7km強あるらしい...
景色は最高なんですが、荷物が重いし太陽が高くなり暑くなってきたのでヒッチハイク
ヨーロッパなんかの最初の頃はちゃんと車1台1台に笑顔で指を上げていましたが、今となっては歩きながら背を向けて指だけ見せておくアメリカンスタイル
にも関わらず素敵な老夫婦に乗せてもらいました
街にたどり着くと、レンタルバイク屋がたくさん
僕が借りたのはこちら
チャリンコ!一日300円!
やっぱり田舎を見て回るなら自転車でしょう!(免許を国際免許にしていなかったのでバイク借りれなかっただけ)
気分は地元のお巡りさん
自転車をガタガタ言わせながら町外れの子供たちに手を振ります
ニューバガンの端にあるオシャレな喫茶店で頼んだアボカドジュース
実はミャンマーで既に4杯目という大好物
ニューバガンといっても街並みはこんな感じでどの辺がニューかはよく分かりません
川沿いにでると、お母さん達が洗濯をしていたので、僕も長く洗っていないチャドル(首に巻いてるでかいスカーフ)を洗濯
なってないということで結局1人のお母さんにやってもらいました笑
乾くのを待ってとうもろこしタバコをぷかぷか
隣には同じく煙を吐きながらぼけーっと座る男性が2人
女性達は洗濯に忙しいというのに、ほんと世界中男という生き物は...
街に出て喧嘩のひとつでもしてこい!と言ってやりたくなります
自転車にはきついアップダウンを越えてオールドバガン
至る所にパゴダがあってどれがどれやら
大きなパゴダの前には市がたっており、そこで出会った子どもたちと遊びます
観光客からもらったり交換した外貨コレクションを見せてもらい、こうかんっこします
日本円もってなくてごめんね
それにしても実践英語というか、ほんとに英語が上手
その後もスタンプラリーの如く自転車を漕ぎまくり
仏様に祈り
この仏像は空間いっぱいに作られた窮屈仏
バガン観光終了!
バガンといえば、広がる緑の中に建つパゴダのパノラマが有名ですが、しんどくて無理でした!ごめんなさい!
おつかれ自分!
駅でミャンマー最大の都市ヤンゴン行きの列車を待つ間に食堂で1杯
ミャンマーといえばヌードル
そしてこの食堂の看板娘が僕に興味を持って話しかけてくれます
荷物をひっくり返して、これは?これは何?と尋ねるこのかわいさ
ミャンマー版アルプス一万尺を教えてくれたり、追いかけっこをしたりとにかく人懐っこい
そんな天使に骨抜きにされたこの笑顔
ヤンゴンまでの列車は普通車にしてみました
アッパーシートはふかふかソファにカーテンまでついてましたが、インドに比べればこの車両だって十分グリーン車
木製の床に大きな窓
田舎の景色に日の入りと日の出が見られる、鉄オタが飛び跳ねそうな15時間の電車旅が300円
あぁミャンマーすごくいい
アジア最後の秘境ミャンマー【マンダレー】
海外の人に漢字の説明をするのってすごく難しいです
一つ一つの漢字が意味を持っていて発音も色々あって、そこにひらがなが混ざって〜
とそもそも表意文字ってものが世界には漢字を除いてほとんどないので最初から引っかかります
僕がよく使う説明は「音」という漢字です
「音」はsoundという意味で
「音楽」はsound enjoyingでmusic
「音量」はsound amountでvolume
「異音」はstrange soundでnoise
と、こんな感じで説明すると結構理解してくれます
とはいえ街中にある中国語の看板は、知らない漢字ばかりでまだまだ苦労します
さて、インドを抜けて漢字の世界へやって来ました!
ミャンマー連邦共和国🇲🇲
人口:51,419,420人
面積:676,578k㎡
首都:ネーピドー
言語:ビルマ語
通貨:チャット(MMK)=0.072円
物価:★
10時間を超える長距離移動になると日付感覚が段々と怪しくなってきます
到着したのは早朝5時半
市場に僧侶たちとミャンマー人の朝は早いようです
スウェーデン🇸🇪ぶりにコンビニを見つけてアジアを実感!
中もしっかりコンビニです
写真では伝わりませんが、ホットスナックの煮卵がかなりの異臭を放っていました
宿を探しながら街を歩き、朝ごはんに地元の食堂に入店
麺がお米でできたワンタンのようなヌードル(1000kat=72円)
おいしい!アジアの味がする!
地図を頼りに見つけたホステルはとにかくキレイ!
風通しもよく屋上まであってインドとの差を思い知らされます
部屋のバルコニーにでて風を感じていると、犬を相手にウクレレを弾くパフォーマーを発見
二段ベッドの相方ジギfromオーストラリア!
日本に惚れすぎて平仮名片仮名はもちろん、簡単な漢字まで読めちゃう日本通
SEKAI NO OWARIの「RPG」を日本語で歌ってくれました
これから僕とは逆のルートで中国とロシアを通ってユーラシア大陸を横断するそうです
日本で買い忘れたと言うので、持っていた箸と箸袋を歌のお礼にプレゼント
同じくバルコニーでジギの演奏を眺めていたイタリア人のサラ、1階のカフェで出会ったドイツ人ヨハネスと一緒に街歩き!
左から23・25・22・24歳
歳が近いこともあり、あっという間に意気投合
翌日は一緒に観光
の前にティータイム
サラがミャンマーティーはインドのチャイとは違うというので、「どうせ砂糖の塊だろ」と思いながらも試飲
おお!深い!紅茶の味がする!
と、感動した僕らは三日間ことある事に「よし、ティータイムにしよう」「賛成」と、ミャンマーティーを飲みまくるのでした
まずはマンダレー王宮から
旧首都であるマンダレーの王宮は荘厳で巨大
中央には王座とそれを取り囲む寺院が小さな集落のように並んでいます
ここでサラについて少し紹介
前日深夜までNetflixで「プリズンブレイク」(アメリカのドラマシリーズ)に熱中していた彼女は北イタリアの田舎出身、僕より一つ年下のバックパッカー
職業は写真家 兼 画家 と、多才で自由なアーティスト
被写体のテーマは「人」
まぁこれがほんとにいい写真を撮るので今でも僕は彼女のインスタを密かに楽しみにしていたりします
撮られている地元の人たちも写真を見て笑みがこぼれます
日の入りに向けて数ある絶景ポイントの1つマンダレーヒルを登ります
長い長い長い階段
約1000段らしいですが寺院内土足厳禁なので足の裏にかなりきます
アジアの文化が好きでその起源や歴史にまで知識を伸ばす頭脳派バックパッカー
日本の関西九州を訪れたそうですが、ヨーロッパと違い日本ではスーパーが町はずれにあるので自炊に苦労したそうです
苦手なものは早い乗り物と海産物
さて、1000段息を切らしながら登りきりました!
頂上のパゴダでは猫ちゃんが昼寝中
ぞくぞくと観光客が集まり夕陽の時間
夕陽って光源が強すぎて携帯のカメラじゃ上手く撮れないんですよね
諦めて少し離れたところからぼかしながら1枚
帰りはバイクタクシーが安かったので、ヨハネスをいじめます(彼は乗り物の中でもバイクが1番苦手)
ヨハネスは顔死んでますがサラは楽しそうですね
翌日は朝早く日の出を見に行くことに決めて解散
プリズンブレイク1話だけとねだるサラに釘をさしてベッドへ
が、別記事にする予定の考え事が頭から離れず大して眠れないまま起こされる始末
5時にまだ眠いジギを置いて街を出発し、U Bein橋へと向かいます
日の出まではもちろんティータイム
マンダレーの代名詞とも言われるこの橋
世界一長い木造の橋として人気急上昇中
お気に入りの構図「橋の下」
この橋がかかっているのは川ではなく大きな湖
波が立たないので鏡面になり写真映えします
一応定番の構図でも1枚
朝早くこの橋を渡るのは、寺に向かう僧侶と、離れた学校に通う子供たち
こんな写真とFacebookに上がっている僕の写真を見たサラが一言
「Tomoの写真には必ず線があるね。線を見つけられるいい目があればいいカメラは要らないんだよ」
顔には出さずとも、プロに褒められて有頂天のまま線を探しまくるお調子者
そんな日の出のいい気分に水を差すのは中国人旅行客
ツアー会社が用意したであろう被写体ミャンマー女性は、それっぽい着物を着て橋の上でポージング
同じく偽現地人の漁師は、魚のいない浅瀬で適当に網をかかげ「ほら!投げるぞー!1.2.3!」
・・・
隣の犬達が喧嘩を始めると一斉にカメラを向ける彼らに
僕「26ヶ国どこにいても彼らを見ると同じ場所かと錯覚するよ」
ヨハネス「不思議なのはこの人達はみんな全く同じ写真を撮ってるってことだ」
サラ「もし私が彼らと同じようになったらどっちか私を殺して」
というのもサラはパピー(英語:仔犬)が大好きなので、犬の喧嘩に嬉嬉としてカメラを向けるのには怒り心頭
橋から移動すること40分ほど
やってきたのはマンダレー西北部ミングン地区
仏教建築と川下りが有名な観光地です
Min kun pahtodawgyi
ピラミッドぶりの巨体さに圧倒されます
東西南北に入口があり、各小さな礼拝所に入れますが、遺跡なので内部は質素です
Mya Thein Tan Pagoda
白一色の美しい建築
ホール状に通路が繋がっているので鬼ごっこをしたら楽しそう
マーケットを眺めてマンダレーへ戻ります
もちろん船で!
早い者勝ち奥の特等席
1時間のリゾート船旅か350円という愛すべき国ミャンマー
ジギと合流し、3人に習字のプレゼントを渡し、ディナーと最後のティータイムでお別れ
夜行列車にのって次の街バガンへ
静けさで心と体を癒す古都マンダレー
別れはいつもの事ですが、1人別れを告げて旅立つのをこんなにも寂しく思ったのは初めてです
ありがとう児戯・茶楽・夜覇寝不
あ!線みっけ!
インド総括〜全てを包み込む国〜
「ここはある意味でアメリカよりも自由な国だ
そして僕らはここから逃げられない」
ーあるインド人青年ー
文字通りインド横断を終えて、この3週間を振り返ってみようと思います
訪れた都市は
アムリットサール→デリー→ハリドワール→リシケシュ→アラハバード→ヴァラナシ→ジャムシェドプル→コルカタ→シリグリ→グワハティ→コヒマ→インファール→モレ
(日本語表記は現地発音重視)
思いつくままに書いてもいいのですが、分かりやすくいくつかのポイントにまとめて、インドで感じたことを素直に書いていきます
「人」
総じて熱いです
「親切な国民」「誠実な国民」「朗らかな国民」どれも近いようで少し違います
僕が人に紹介するとしたら「頼りがいのある国民」でしょうか
我が強い人が多いので、あまり自分の予定を変更しません
ので、一緒に行動する時に、「次どこ行こうか?どっかある?」みたいなことにあまりなりません
ガンガン行くのでついて行けば楽しいことが起きます
その点日本人とは相性がいいかもしれませんね
お誘いを断ると素直に引きます
ただその中で、俺に出来ることはないか?困ったらいつでも電話しろ
と、アフターケアまでしてくれるところはやっぱり優しい
そして、実際にほんの数分電車で一緒だった人が、元気か?と電話をかけてくれたりします
マナーの面では、横入りやぼったくり、ポイ捨てなど日本人には許せないような惨状です
諦めましょう
個人的にはポジティブと言うよりは割り切った性格の人が多く、約束をすっぽかしたりしても全然気にしません
なんに関しても寛容なのは南アジア共通ですね
もう1つインド人は家族のつながりがとても強いです
とにかくいつでも兄弟家族と電話します
ここにいるよー。日本人にあったよー。と電話越しに突然家族を紹介されたりもします笑
「地理」
ばかでかいです
舐めて短気旅行を計画しようものなら痛い目を見そうです
インドの友人に「故郷はどこ?」と聞いたら「デリーから電車で2日」と、規格外の答えが帰ってきました笑
ただ各州が異なる宗教、異なる文化、異なる人種と異なるルールを持つので探検しがいは世界一かもしれません
自然あり都会あり、海あり山ありなので飽きることはまずありません
都会は異常な汚さと動物の匂いがかなりキツイので、ダメな人は田舎まわりがいいでしょう
個人的にはエジプトのラクダの方がインドの牛よりだいぶ臭いです
距離的にも一度に全部回るのは難しいので、1つの州に時間をかけてじっくり文化を読み解いていくのがおすすめです
「食事」
言わずもがな、なんでも辛いです
食べるのが大好きなので食事場所に困ることはまずありません
各都市で宗教によるタブーや特産品が様々なので全体で見れば食材豊富に思えますが、一つ一つで見れば食の多様性を好む文化はありません
好きなものを毎日食べるタイプです
衛生面はかなり酷いです
特にストリートフードは調理過程があれなので(オススメですが)要注意
ただ誤解しないで欲しいのはインド人はこと自分の体に関しては清潔です
手で食事をする文化のため毎食前、食後手を洗い、トイレに行ってももちろん石鹸で手を洗います(こちらも手を使うので)
移動中だろうが歯磨きや洗髪を欠かさない人も多くその辺は少し意外でした
じゃあ何が問題かと言うと、体の作りです
彼らが食べれる食事、飲める水が外国人に合うかと言われればまず間違いなくNoでしょう
まぁ死にはしないでしょうが、死ぬほど苦しむので注意してください
全ての旅人はインドで必ず最低1度体調を崩すと言われています
今のところ旅人仲間では100%当たっています
いっそ諦めてとにかく美味しそうなものは全部手を出してみる方がビクビクするより気は楽です
ベジタリアン、ノンベジタリアンどちらでも楽しめるストリートフードが溢れています
「宗教」
多様で信心深いです
シク教・ヒンドゥー教・仏教・イスラム教・キリスト教・その他多数
どの宗教も比較的他宗教に寛容ですが、イスラム教に対してのみ風当たりの強いエリアが多いです
信心深いことと様々な宗教が共存していることに誇りを感じている人が多いので、挨拶では宗教を聞かれることが多いです
ただ日常生活でのタブーは少ないので、特に何か我慢していたり、一緒にいてこちらが不便を感じることは少ないはずです
起源である仏教が流行らず、ヒンドゥー教が多いのも実はこのためです
初期仏教の節制と内向きな信仰対して、ヒンドゥー教はやや世俗的で視覚化しやすい(好きな神を選んだりできる)宗教です
自由を好む文化なのでそんなのも納得できます
ちなみに!この反省を活かして視覚化しやすく変化したのが、日本に伝わった密教系仏教です
曼荼羅や仏像など仏教らしい美術品は密教から始まったものなんですよ
「国際関係」
あまり良くありません
人種とエリアによりますが、遠い所程隣国を嫌っている印象です
どういうことかというと
パキスタンに行ったと言うと、質問が「あそこは最悪だっただろう?なんでムスリムの国になんて行くんだ!」となります
逆に西インドでは、パキスタンは同じ民族という意識がある反面、バングラデシュ嫌いが目立ちます
中国は交流もありますが総じて印象が悪いです
国境で争っているので当たり前といえば当たり前ですね
隣国では唯一ネパールのみ観光客、移民ともに多いため友好的です
アメリカヨーロッパには憧れのような感覚をみんな持っており、日本もそれに近い印象ですが、若者のイメージはアニメや家電です
実際には、国際関係に関するインド国民の感情はかなりプロパガンダ色が強く、殆どが無知から来ているものでしょう
広すぎる国土と教育が不十分なため、国内でさえ全体に詳しい人はほんの一部
ほとんどの人は聞いた話か、もしくは自国内の都市の名前さえ知りません
「旅人目線」
インドを訪問先に選ぶ旅人は、冒険家気質が強いはずですのでおそらく気に入ります
逆にフォトジェニックな部分に惹かれて足を踏み入れると幻滅するでしょう
公共交通機関、宿共に期待するだけ損です
インド人は家族の繋がりが強く長期の旅と言う文化がないので国内需要がないのでしょう
旅道具は手に入りづらく、もし見つかっても粗悪なものが多いので、安いとはいえインドでの購入はオススメしません
先進国とは違って、黙っていても色々な経験の機会が向こうからやってくるので、彼らに混ざって混沌とその多様性を楽しみましょう
「観光おすすめ」
一昔前は神秘的で未開の地だったようですが、今は大きく変化しています
特にメジャーなツアー先となる【デリー・ヴァラナシ・コルカタ・ムンバイ・ジャイプル・アグラ】あたりは観光地化した事で悪い方向に変わっているそうです
スリ、詐欺、ぼったくり、悪質な商売が自由の名の元溢れかえっているので神経を使います
逆に南インドではインフラが整ってきて観光しやすくなっているそうです
極東、北部は未だ旅人にも未開拓な文化が多く残っているのである程度時間とお金に余裕のある方にはおすすめです
(タクシーのチャーターなど必要な場合があります)
磁力で車が勝手に動くマグネティックフィールド
脅威の出生率双子の村
マウリノンの生きている橋
黒魔術の儀式残る村
ぜひぜひ探して訪れてみて下さい!!
禁酒州や禁煙州、宗教のタブーがありカーストを持つ彼らが「自由」を唱えることに違和感を感じていましたが、深読みの結果なんとなくその一端を掴んだ気がします
彼らの「自由」は、日本人が感じるような物質的、選択可否性なものではなく、内面的で個と帰属する集団への自由を意味しているのかなと感じました
以上!独断と偏見に充ちた個人的インド総括でした!
再訪した時には南インドとラダックに行ってみようと思います
長いインドを終え次はミャンマーです!
残り数カ国もお楽しみに!
インド(モレ)→ミャンマー(タム)国境越え
インド極東部の観光を終え、隣国ミャンマーへ
実はこの陸路国境、去年の夏に開かれたばかりなんです
(開かれた国境は2箇所、マニプル⇔サガイン・ミゾラム⇔チン)
正確に言うと、国境としては開かれていたものの、外国人は通行することが出来なかったんですね
警備付きだったり、パーミットが異常に高かったり一応超える手段はあったようですが、正式に旅行者として抜けられるという知らせは世界中のバックパッカーにとっては去年1番の大ニュース!
加えて加えて同時期から日本人旅行者のミャンマー観光ビザが免除になりました!!
23歳での旅は自分では遅かったと思っていたんですが、ビザ環境はベストでした
はい、ではマニプル州モレからサガイン州タムへ国境越えてみます
まずインド側で訪れることになるのはモレ隣の都市インパール(インファール)
バングラデシュ国境北側のグワハティからバス、もしくは飛行機でアクセス可能です
インパールからモレは乗合バン(500Rs)で行くことかできます
停留所はここ
ピンを指すところがなかったので近くのガソリンスタンドにさしていますが、交差点のあたりに1台2台バンが停まっています
市街地からトゥクトゥクを利用する場合moreh parkingで伝わります(10~20Rs)
僕が乗ったのは最後の便でしたが、満員でしたat15:30
山道を進むこと約4時間
道は恐ろしく悪いので飛び跳ねます
インド東部の道路は、ヨーロッパから陸路移動を続けてきた旅の中でもトップクラスの苦痛でした
夜着なのでモレで1泊(シングル200Rs)
お世辞にも綺麗な宿ではないですが、充分泊まれるレベルでかなり安め
外国人が泊まれる宿は限られているので探さなくともそこで下ろしてくれるはずです
インパールは宿がどこも高い(安くても1000Rs)ので夕方の便に間に合えばモレまで行った方がいいと思います
国境越えもあるので、インパールからだと朝イチの出発でミャンマー側タム→マンダレーのバスに間に合うかどうかという所でしょう(時差1時間)
翌日正午に国境越え
ゲートに向かう途中にある寺院
ゲートが2箇所あります
通行できるのはこちら
地図上一端国境超えちゃってますが大丈夫です
軍のセキュリティポイントを通過し、橋を渡らずにイミグレーションオフィスに向かいます
途中にあったお墓
モレは採石の町らしく、川沿いの石切場では住民が延々石を砕いています
そしてイミグレーションオフィスがこちら
誰もいない・・・
みんな どこへ いったのかな?
しゃくだから Tomoは うたってやった。
おおごえで めちゃくちゃのうたを。
って絵本を思い出すくらい誰もいない
仕方ないので国境の橋へ戻ってセキュリティに聞いてみます
「今日はリパブリックデイだからね。インド中のオフィスが休みだよ」
え?それじゃあ今日は越えれないってこと?
「いいや、いつでもどうぞ。歩いて10歩でミャンマーだよ」
いや、でもそれってつまり...
ま、いいって言うならいいか!!
ということでミャンマー入国
つまりそれはインドを出国していないということ
スタンプも記録もないので、いつか僕の実家にインド情報局の人が訪れるかもしれない
インドだから大丈夫だろうという過信
橋を渡った先にミャンマー側イミグレがあり、ビザなしでスタンプ
タムの町まで歩いて2km程
道路沿いにはタナカ(ミャンマーの天然木化粧)を塗った人々
ミャンマーーーー!!!!!
と心の中で叫びました
この時、あぁ僕の旅は終わったんだな。と思いました
難度的なことや距離的なこともありますが、何よりアジアに帰ってきたんだというホーム感が凄かったんです
時差を調整して2時
町の入口にいくつか並んでいるマンダレー行きの乗り合いバンの中かから、安かった20000KAT(1400円)のトヨタでマンダレーまで15時間の旅
休憩ポイントの子供たち
右「俺これでいかだ作って海賊王になる」
左「お前ちょっと一旦落ち着け」
戦争がもたらしたもの。消えた記憶【コヒマ→インパール】
誰のためでもなく、なんとなく買ってあったお土産が知らぬ間にリュックの中で壊れていました
これは断面図で、半円柱のマグカップなんです
書いてあるのを訳すと
「お金全部ヴェネツィアで使っちゃったんだ。だから1/2のマグカップしか買えなかったよ」
日本で最初に会った人にあげようと思ってたんですが残念
さて、前回のグワハティからさらに東へ向います
ここから東は鉄道がないのでバスでの移動となります
意外と大きなターミナル
コヒマのあるナガランド州は名前の通りナガ族の土地
モンゴロイドで顔がアジア系なので親近感があります
山沿いに並び立つ住居
これが山全体に広がっている絶景は僕の写真技術では伝わらないでしょう
とにかく感動しました!
また、この家々をくぐって行く道も情緒があって素晴らしいです
斜面に並ぶ街並み好きなんですよね〜
グワハティからコヒマまでは約13時間の旅
一級のツアーバスかと思うような絶妙なタイミングで日の出
ここを訪れた理由は第二次世界大戦に遡ります
このコヒマもその舞台となりましたが、戦後英国の教育に始まりインド独立後今日に至るまで、日本軍についての歴史教育は行われていないため、そのことについて知っているナガ族は極わずかなです
そんな歴史の流れに複雑な気持ちを感じながら、この美しい街並みを眺めます
コヒマから再び長距離バスでインパールへ
グワハティから始まる東部の道は、今まで経験してきた陸路の中でも最大の悪路です
どのくらい揺れるかと言うと、バスの中で携帯に表示される文字が一瞬たりとも読めないくらい揺れます
1分に1回はお尻が席から浮き上がるので、これを長時間運転するドライバー達には頭が上がりません
隣のナガ族のお兄ちゃんが買ってきたおばけいんげん豆
物流が限られているので、別の土地で買える食材は変わり映えのしない食卓を彩る貴重なお土産
こういうシンプルな生活すごくいい!
さて、マニプル州インパール到着!
極東インドの更に端とはいえ、やっぱり人は多いですね
インパール名物Ema Market
このマーケットは女性しか出店することが出来ないんです
北海道を思い出して魚の燻製を購入
そして向かうは隣町Nambolにある戦争記念館
町移動の乗合タクシーが出ているので、それを捕まえるととてつもなく安く移動できます(20km30円)
トゥクトゥク1台に9人という人生初の経験をしましたが、隣の女子高生とおしゃべりができたので満足満足
若い子は田舎でもみんな英語が上手です
さて、そろそろインパールと日本の関係を説明しておきましょう
数字や経緯など詳しいことはこちらの記事参照
とてもわかりやすく説明されているので、ぜひ一読してからこの先へ
簡単に解説
太平洋戦争末期、太平洋でのアメリカとの戦闘が激化する中、中国の国民軍との戦いに終止符を打って戦力を集中させたい日本陸軍は、占拠しているビルマの前線を進めインパールを電撃攻略することで、英国インドからの補給ルートを断つという作戦を提案します
悪路と雨季の影響もありこちら側の補給路が確保出来ないと踏んだ本営はこの作戦を保留
が、ある陸軍中将の独断により「弾薬と補給は敵から奪うべし」との無謀な命令の元インパール作戦(ウ号作戦)は実行へと移されました
結果は戦史史上最も愚かな作戦と呼ばれる大惨敗
参戦した日本兵の9割が死亡するという異常な事態にも、幹部は責任追及を恐れ撤退の判断を下せなかったのです
元々この地域にはインド人とは異なるアジアの少数民族が暮らしており、日本が必ず英国から独立を勝ち取ってくれると信じて日本兵に助力したのが、先のナガ族を代表とするマニプル州の人々
戦後長らく外国人の立ち入りが禁止されていたこの地域には、地元の人々が建てた日本兵の碑があるのです
こちらがその碑
右翼でもなければ、怨念やら幽霊さえ信じていない僕ですが、この石碑の前に立った時には鳥肌が立ちました
70年も昔に、この異国に10万の日本人が立っていたとは
当時使用されたであろう砲門
この砲一門につき、一日に支給された弾薬はわずか2発だったそう
米尽き弾尽きた日本兵には石つぶてを投げる投石部隊まで編成されたというのだからその無謀さが伺いしれます
皮肉な文言です
どれだけの日本人が、涙を飲んでこの道を撤退し、英軍の爆撃機に背中を撃たれたのでしょう
日本の土の上で、守る人を背中にしょって、敵に向かって死ねたなら
ただ華々しく散ることさえ叶わなかった兵士一人一人の故郷を思う気持ちにただ胸を締め付けられます
唯一善戦し北のコヒマを落とした第3師団師団長は、餓死者と病死者、補給の絶望的な状況に、軍法会議での死刑を承知で独断撤退を決定しました
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」
この平和記念館の隣には同じく多くの病死者を出したイギリス軍の記念館も併設されています
日本兵の死体で埋め尽くされた白骨街道と呼ばれた道を再び戻り、次の目的地へと向かいます
日本に限った話ではありませんが、戦争参加国はもう少し第二次世界大戦について少なくとも自国が行った戦争行為に関して学ぶべきではないかと思います
日本がどの国に侵略し、どんな戦争を行ったのか、それを知らずに「こことここは親日国だよね」なんて言っていると、いつか同じ過ちを繰り返すことになるのではないでしょうか
二度と戦争が起きないことを心から願って
インドの結婚式に呼ばれた話【ジャムシェドプル】
本物のヘナタトゥー
これだけ豪華に飾り付けるのはやっぱりお祝いごとの時
ってことで行ってきましたインドの結婚式!
なんでって?
呼ばれたからです
ジョージアで出会い一緒にアルメニア旅行をしたインド人ビプルが
「ヴァラナシなんていいから早くこい!結婚式を逃すぞ!」
というので、誰の結婚式でどんなものかも分からずにとりあえず参加することにしました
朝10時発の電車は11時になっても到着せず、ホームで出会ったイギリス人のクリスティー姉さんとひたすら待ちます
「みんな電車調べる時アプリ使ってるわよね。あれダウンロードしてみましょうか」
そうしましょう
Delayed 5:30 hours
.........え?
ランチを食べて街を歩いて外国人専用待合室で仮眠を取って午後3時半を少しすぎ
やっと来ました
ビプルの住むJAMSHEDPUR(駅名TATANAGAR)までは12時間の旅
相席のムディタ・クシャグラ姉弟とマジックやら折り紙で遊んでるうちに日没
クシャグラ、ライオン作れないポンコツお兄さんでごめんな
日本帰ったら折り紙勉強する
クリスティー姉さんは仏教の聖地ガヤで降車
1日潰れて嘆いていました
TATANAGARに着いたのは朝5時
実に7時間の遅れです
ジャムシェドプルは比較的緑の多い住宅都市で、巨大企業TATA STEELと資源の影響でインフラが整っています
前日が結婚式本番だったため朝まで飲んでて寝不足のビプル
とそのお母さんとお友達
ジョージア以来の再会を懐かしんでいる頃、もう1人はどうしていたかと言うと
1人でこんな悲しい顔をしていました笑
ジョージア・アルメニアの記事を読んでくれた方は覚えているでしょうか
3人組の1人ベラルーシのミシャです
3人で電話もしました(英語とロシア語なんですけどね)
いやー懐かしい
さて、ビプルの地元の仲間たちも集まってみんなで街をぶらつきます
おすすめだという軽食
クレープのような記事にポテトとチーズとオニオンを挟んで...
DOSA!ドサ!美味い!
インド1おすすめの料理です!
本来クレープ部分は柔らかいのがドサなので、クリスプでと頼むのがポイント
南インド発祥なので北では見つけるのが難しいかも
まぁその後も食べる食べる
ポテトとポン菓子のミックス
パパイヤに続き生まれて初めてのフルーツ
ココナッツ
ココナッツ飲料は飲んだことありますが生は初めて!
まずは何も加えずストローを刺して中の水を飲みます
薄味だけどなんだかすごく健康な気がする
終わったらおじちゃんが実を半分にカットしてくれるので、皮を使って中で固まったゼリー状ココナッツをすくいとります
あ、これだ!日本でジュースとかに入ってるやつ!
そして向かったのは新郎新婦の新居
ちなみに新郎のスワラージがビプルのドバイ時代の友人です
インドでは結婚式は人生で1番のイベント!
結婚式の後日にも、新婦の家族とのお別れ会、写真撮影&ご挨拶パーティと数日続きます
インターナショナルゲストだと歓迎されちゃっかり食事も頂きます
働かざるもの食うべからず!
ビプルの紹介でマジックやらジャグリングやらを幕間に披露
すると観客席から一人の男性がやって来て僕のトランプを取り
マジックを始めました
インドのプロのマジシャンの方でした笑
演技後は2人でマニアックトークに花を咲かせます
夜も遅いので今日の所はお別れ
ってのは建前で、ビプルと仲間たちには新郎新婦の初夜の部屋を飾るカーペンター(大工)や花屋を雇う仕事が残っていました!
道具一式を持った職人を1人車に乗せてまるで誘拐するかのように現場に連れて行って任務完了!
仕事終わりも食べます
砂糖の揚げ物砂糖漬け
甘い甘い
塩分が欲しくなったところでマサラドリンク
マサラとはいくつかのスパイスを組み合わせたもののことです
つまりクミンやらガラムマサラやらの入ったコーラ(ファンタフレーバー)
味はよく分かりませんでしたがインドは感じました
ビプルの実家に帰るとお母さんが晩御飯を用意してくれていて
ってこの人たち1日何食食うの??
僕の他にも遠くからビプルのお客さん
親に勘当されたインド人らしからぬ自由人カルパ
日本大好きなので寝巻きに着物着てもらいました
翌日腹痛のため起き上がれなくなり、昼からは熱も出てきて気づく
食べすぎた...
ただの食べ過ぎならいいんですが、断食やら過食を繰り返した上に、ストリートフードとスパイスのコラボで体のキャパオーバー
夜まで休ませてもらってなんとか夜のパーティには参加します
昨日一昨日会っている親族の方も沢山
Tomo!こっちだ!俺の息子を紹介する
Hey Tomoこっちこっち、僕の兄だよ!
名前まで覚えてもらって有難いことです
ただ男性陣皆握手なげーーー!
挨拶したあと出身とインドの結婚式はどうだ?くらいまで手を握られてる謎の状態
そして最後は料理を僕のお皿に乗せて去っていきます
もう無理、もう食べられない、あ、あぁ、ああ、ありがとうございます、いえ、嫌いじゃないです、、、
と、まぁこんな感じでした!
昼は毎日同じメンバーで街をぶらつき、夜は結婚式がルーティンと地元感満載で楽しい訪問でした
後半体を壊して気を使ってもらい本当に申し訳ないです
次に向かうは東の大都市コルカタ
4人の兄ちゃん達に全部面倒を見てもらって死にそうな顔でお別れ
そして、列車では隣席のインド人がほら食えとタリーをご馳走してくれます
もうだめだ。この国に逃げ場はない。
インドのフロンティアへ電車旅【コルカタ→シリグリ→グワハティ】
「私達は大きなことはできません。大きな愛で小さなことをするだけです」
ーマザー・テレサー
コルカタにはマザーテレサの家でのボランティアが目的で来たのですが、あまりに体調が悪く、人助けどころではなかったので諦めました
次回必ず!!
コルカタに観光予定のある方は、一日から参加できるのでぜひ調べて見てください
本当はどこかで休養するべきなんですが、インドから抜け出さなければまた繰り返すのではないかという焦りから足を早めます
フルーツジュースを奢ってくれた男性とお友達
駅前の公衆便所
インドは深刻なトイレ不足で、ほとんど仮設のような屋外トイレが多いです
駅の掃除係にいじめられ通れなくなる僕
コルカタから東インドの入口シリグリへは空きがなかったため、特等席(1400Rs)で移動
泣きそうな高さですが、席はゆったりしていて助かりました
エアコン完備に機内食として3食とデザートがつきます
一口も手をつけられませんでした...
この電車がまたもや7時間の遅れとなり、シリグリに着いたのは深夜
深夜チェックインできる安宿を探すも、受付のレセプションがさっきまで使っていた半屋外のベッドで600Rs(900円強)
怒る気力も交渉する体力もなく、駅に戻って寂しく就寝
カルパ兄さんには泥棒が多いから絶対に駅では寝るなと言われていたんですが、どうにも出来ず
翌日電車を待つまでシリグリを少しだけ街歩き
印象に残ったのは乞食の多さです
インド東部はヨーロッパからの観光客が多いため町中にぼろを着た子供たちがおり、お金をくれをせびってきます
そして驚くべきはそのびっこの多さ
(代用語が見つからないため差別の意味なしで使わせていただきます)
日本では考えられないかもしれませんが、インドやアジアのいくつかの地域では、乞食として生きていくために親が子供の腕や足を落として同情を引くことが少なくありません
ギシギシの髪に大人用のボロをまとっていつまでもお金をくれという子供を見ていて、何に怒ればいいのかもわからず途方に暮れました
こういう場合必ずお金を集めて生活を成り立たせている親がいるので、お菓子をあげるだけでは引いてくれないんです
前日の車内食で取っておいたものを全部上げても足りません
トドメにインド名物耳かき屋!
文字通り耳かきをしてくれる訳ですが、観光客に対しては少し対応が異なり
まずは片耳だけ無料でやるから見せてみろ
と勝手に耳掃除を始めます
すると出てくる出てくる茶色くベタついた何か!
もちろんこれ嘘です
そんなもの生まれてこの方耳から出てきたことありません
初めにこの茶色い物体を耳に詰めているんですね
そして、特別な薬を使うと言って何やら水を耳に垂らし請求されたのは500Rs(800円弱)!
怒鳴り声が口元まで出てきたのを抑えて、50Rs払ってさっさと立ち去ります
この後もリキシャーで、目的地がわからずさまよった結果諦めた運転手に全額請求されて喧嘩したり
近くにいたポリスが仲裁に来るものの、歩くといっているのに外国人は勝手に歩けないと言い出して喧嘩したり
やっぱり体に余裕が無い時は心も狭くなってダメですね
普段は旅行客が怒ってるのを見ている側ですが、今回ばかりは怒ってしまった僕の負けです
初めて面と向かってF※ckなんて使ってしまいました
ただ皮肉にも英語というのはこういう場合にはペラペラと出てきます
一通りまくし立てた後で、あれ?突然英語上手くなった?って感じでした
相手はほとんど理解していなかったので良しとしましょう
気を取り直してもう1つ隣町グワハティ観光
のんびりとした街で、この辺りからアジア系の顔立ちの人が増えてきます
公園で公演中のどなたか偉い人
...まずい!ユーモアまでなくしつつある!
公園内の大きな池
ボートでデート中のカップルもちらほら
インドの国民的スポーツといえばこちら!
あっちでも
こっちでもクリケット!
世界最強のクリケット国なので街で見るスポーツといえばこれしかありません
ヒンドゥー教寺院で川を眺めてのんびり
ガンジス川ではありませんよ
東部に流れるこの川はブラフマプトラ
ガンジス川よりもかなり大きいです
インドの神様何人言えますか?
クリシュナーシヴァガネーシャ...
大丈夫です
現地の人もわかっていない人たくさんいます
バザール
食事はまだ受け付けないのでドリンクで栄養補給
のんびり散歩が効いたのか少し体調が良くなってきた気がします
次に向かうのはナガ族やクキ族といった少数民族の住むナガランド州コヒマ
リシケシュの瞑想を思い出して気持ちを落ち着けて向かいます
シリグリ周りで怒った皆さんごめんなさい
ほんとの日本人はもっと優しいので誤解しないでね!