Out of This World

休学して旅に出る大学生の備忘録

ポーランド-ワルシャワで世界史を学ぶ

夜行バスに揺られること7時間40分

 

6ヶ国目ポーランド!!

まずは首都ワルシャワから観光していきます!

 

ポーランド(Poland)🇵🇱

人口:38,485,779人(東京大阪神奈川くらい)

面積:312,678k㎡(北海道4個弱)

首都:ワルシャワ

言語:ポーランド

通貨:ズウォティ(zt or PLN)=30円

物価:★★★

 

 

朝6時半寒いです。

寒いし霧がかかっているのでワルシャワ駅内のマックで2時間ほど仮眠を取りましたf:id:discimus:20181023072020j:image

(ヨーロッパのマックは無人販売機があります)

 

荷物をロッカーに預けようと思ったんですがコインがない!

両替の時お願いすればよかった

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仕方ないのでカフェでコーヒーを買うも紙幣でお釣りを渡される

No coin. どういうこと?

聞いてみるもポーランド語しか返ってこない

 

ポーランドは国の紹介でわかる通り今回の旅の中では今のところ1番大きな国です。

ただ首都の中央駅でさえ英語通じません

そういえばリガで、西に行くほど英語通じなくなるんだよって教えて貰ったっけ

 

 

バルト三国や北欧では、母国語がマイナーなので小さい頃から英語教育が行われます。反対にフランススペインイタリアドイツといったメジャー言語の国では隣国の言語が優先されてあまり英語喋らないんだとか

 

まぁアフリカよりはまだ楽だからいいか

とりあえずコインがないとトイレにも行けない

無駄遣いも嫌なのでお金のかかる観光施設から回ることにします

 

 

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そしてこの陰鬱な天気もまたポーランドらしいというか、始まる前から憂鬱な気分にさせてくれます

 

 

ポーランドを観光する上でその暗い歴史と戦争の傷跡に触れないわけにはいきません

できるだけ歴史の教科書にならないよう努めますが、文章が多めになるので、周辺国を含む負の歴史を見る気分になれない人は読み飛ばして下さい

 

 

霧と寒さとお金の問題から最初に向かった先は

 

ワルシャワ蜂起博物館

 

ポーランドは1000年の歴史を持つ国ですが、実際自主統治はほとんどしていません

世界史で特にフォーカスされるのは、3度にわたるポーランド分割です

簡単に説明すると、周辺3強国に勝手に領土を分割されポーランド自体が消滅するという悲劇です

中欧の要所として常に他国に侵略され続けてきたポーランドは、北にスウェーデン、南にオーストリアハンガリー、西にドイツ(旧プロイセン)、東にソ連(ロシア)と隣接する全ての国に領土を狙われ、奪われてきました

そのため独立回復のための蜂起が何度か起きていますがほとんどが鎮圧されています

 

その中でも最大の悲劇となったのが第二次世界大戦中のワルシャワ蜂起です

 

 

 

対戦時、ナチス・ドイツワルシャワにおいて、ユダヤ人殺害、ポーランド人知識層の逮捕を連日行いました

 

ポーランド地下政府は、ソ連からの支援をこぎつけるためにワルシャワバリケードを築き蜂起を決行します

このワルシャワ蜂起には女性や子供を初めとするワルシャワ市民が多く関わっていました

 

それから2ヶ月間、人数と装備の圧倒的不利の中で、信じられないほど長くドイツ軍と戦い続けます

 

実際にはソ連スターリン英米との密約で戦後ポーランドの大部分を併合する約束を取り付けていたため、独立を目指すポーランド政府への支援を拒み進軍を保留するどころか、ポーランド将校含む23000人を秘密裏に処刑していました(カティンの森)

 

 

ドイツはこの蜂起への報復として、占領国への見せしめにポーランド人の抹殺ワルシャワの完全な破壊を命じます 

 

それは毒ガス、赤十字病院への直接攻撃、一般市民含む4万人を一日のうちに射殺するなど国際法を完全に無視した虐殺でした

 

 

それだけにとどまらず、大戦後も、ソ連傀儡政権の新ポーランド政府はプロパガンダによって蜂起に関わった人々を戦火を拡大させた売国奴として逮捕弾圧します

 

この自由のための必死の蜂起が歴史的に認められるのはその後30年以上たった後でした

 

 

と、ざっくりこんな内容なんですが、博物館では容赦なくその映像や写真、資料が展示され、武器や食糧のない状態でどうやって戦い続けたのか

その主人公達は下水道を使ってメッセンジャーをした子供たち、女性衛生兵、聖職者、医者、学者、芸術家といった一般人でした

ただ人間らしく生きたかった人達の想いに胸が締め付けられる体験でした

日本語の音声解説があり、全部聞いてたら3時間もかかりました


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写真撮影は大丈夫なんですが撮る気になれなかったので入口のこれだけ

蜂起直後のワルシャワ市民たちの生の声や音声が電話から聞こえます。喜びと熱意に充ちています

 

 

とにかく苦しかったです。

8歳の子供の日記の最後のページに力強く書かれた「それでもドイツのしたことを忘れない!絶対に!絶対に!絶対に!

ヒトラーを思想家、軍略家、指導者として再評価する声は今も根強いですが、その評価を考慮して余りある犯罪者です

統治者として最も不適格な彼が権力を持ってしまったことが最大の悲劇ですね

スターリンも同様です

 

 

さぁ少し気持ちを切り替えましょう

この調子だとアウシュヴィッツを耐えられません

 


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ワルシャワの別名はショパンです

あの有名なショパンの愛した街として、様々な飲食店、ホールでショパンの曲が演奏されています

 


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さぁやってきたのはポーランド王宮

立派ですね。WiFi飛んでました
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そしてその庭

 


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ワルシャワ最大の教会聖十字架教会

は、外壁修復中でした。


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中にはショパンの心臓が埋め込まれた柱がありました

左側手前の柱に記念碑が取り付けられています


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このベンチはボタンを押すとショパンの曲が流れます

 



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科学博物館ですがコペルニクス銅像として座しているのはかなり皮肉ですね

彼の地動説はカトリックプロテスタント共に諸手を挙げて非難しました

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博物館に長くいすぎたので昼食とるまもなくワルシャワ郊外のヴィルヌフ宮殿


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ヴィルヌフ宮殿と街の中間にある水上宮殿

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ショパン好きにはまだまだたくさんの施設がありますが、博物館に長くいすぎたこともありこの辺で終了

 

街中は学生だらけでした。修学旅行のシーズンなのかな? 

 

今日もまた早足で バス停へと向かい夕方の便でポーランド南部の街クラクフ


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結構な距離でしたがチケット買うのが面倒だったので歩きました  

 

 

ここ4日間万歩計の表示が1日平均36000歩となっています。足が痛い。どこかで1日ゆっくりしたい。