アジアの玄関イスタンブール滞在記1
旅人の多くは印象深い街を聞かれるとイスタンブールの名前を上げます
アジアでありヨーロッパであるトルコ
西周り東周りどちらからきてもこのトルコに入ると、アジアに来たんだな(ヨーロッパに来たんだな)という感覚を味わいます
トルコ(Turkey)🇹🇷
人口:75,627,384人
面積:783,562k㎡
首都:アンカラ
言語:トルコ語
通貨:トルコリラ(TRY)=約20円
物価:★★
さて、トルコ滞在は2回に別れます。
イスタンブールを拠点にしてイスラエルエジプトなどに行くためです
旅に出る前から中東を回りたいと公言してきましたが、ひとつ大きな問題がありました。
シリアとイラクのビザ問題です
ビザというのは出国側、入国側、国籍取得国3つの国の許可が必要です
自分は大丈夫だから入れてくださいとはならないわけです
シリアとイラクは日本の外務省危険度マップが真っ赤で即時退避の勧告がでています
もちろん知ってはいたんですが、ISの掃討完了宣言が出ていたので、入るまでに危険度が落ち着かないかなーと密かに願っていたものの相変わらず真っ赤です
可能性があるとすれば3つ
1.スペインポルトガルからモロッコへ入り元フランス領アフリカを通るコース
2.キプロスを経由して海路で入るコース
3.イラククルディスタン地域から無政府ビザで通り抜けるコース
結果は
1.モロッコからはアフリカ経由国のビザが高すぎる&イタリアギリシャに来たかった
2.キプロスが南北分裂しており通過、または経由して第三国への入国が禁止されている
3.クルディスタン政府は現在日本人にビザを発券しておらず、取れたとしてもイラク政府が未許可
国境の緩い陸路を偽装しようものなら最近ニュースにもなった日本人のようなことになるのでジャーナリストでもない僕には論外
ということでエーゲ海周辺を担当しているエーゲ航空を使ってトルコを拠点にヨルダン、イスラエル、エジプトを回ってきます
まずはイスタンブールを観光
5泊6日もいたので長いですよ!
イスタンブールの旧名はコンスタンティノープル(東ローマ帝国)
周囲を海に囲まれた天然の要塞
海峡を封鎖し、当時最も堅固な城壁を誇っていたこの都市はどうやって落とされたのか
オスマン帝国のメフメト二世が、正攻法で突破は不可能と悟り捻り出した作戦は船の山越え
コンスタンティノープル対岸には小高い丘があり、メフメト二世の艦隊は対岸から見えないように細心の注意を払い木の板に油を塗って艦隊を陸路移動
補給船がいつも通り海峡を渡ろうとすると、封鎖していた海峡内に艦隊が並んでいたという、世に言うオスマン艦隊の山越え
これを高校時代に聞いた時は鳥肌がたちました
東ローマ帝国のカトリック教会として建築された後、オスマン帝国によってモスクに改修されます
そのため、外はモスクなのに中はキリスト教の内装という世にも変わった宗教建築
ホステルがここから徒歩3分だったので毎日アヤソフィアとブルーモスクを眺めて街へ向かっていました
グランドバザール
内部に数十の通りがある屋根付きバザール
ランプや貴金属がたくさん
見る分には楽しいのですが、偽物が沢山なのでお土産を買う際には向かないでしょう
ドミトリーで同室だったアメリカ人が、ここで高い指輪を買って指真っ青(着色)になってました
値切ろうとしたら「ここは本物しか置いてないからこれ以上安くはできない!」と言われたそうです笑
こちらは少し歩いてエジプシャンバザール
トルコの名物菓子ターキッシュデライトとスパイス類が多く並んでいます
ターキッシュデライトの詰め合わせを買って食べ歩き
ターキッシュデライトはこんな感じ
訳すと''トルコの喜び''
このあとバザール内のトイレで僕は左手を犠牲にします
トルコを初めアジア各地ではトイレットペーパーがないトイレがほとんどです
トイレットペーパーがないなんて日本では信じられないと思いますが、代わりに蛇口とバケツが置いてあります
察してください...
手動ウォシュレットとポジティブに言っておきましょう
この時の好奇心とも喪失感とも言えない感覚は1日続きました
とりあえずアジア人としての洗礼の儀式は無事済ませたという報告です
金角湾にかかるガラタ橋を渡ってヨーロッパ側ガラタ地区へ
ガラタタワー
展望台からの夕陽
アジア側を一望できる大人気のスポット
ちょっと早めのクリスマス気分♪
ガラタタワーからドルマバフチェ宮殿へ向かう一本道は、ブランドショップやレストラン、ストリートパフォーマーが並ぶ長い長い歩行者天国
子供たちが飛び乗っていくんです
見てると本当にアジアを感じる風景
バザールでも子供たちが配達したり店番したり
観光地から生活感を感じられるのがヨーロッパとの違い
夜のガラタ橋から撮影
ガラタ橋は珍しい2段構造になっていて、上は車道、下はレストランが並んでいます
上階の歩道では数百人の釣り人達が朝から晩まで釣りをしています
その間隔わずか1m...よく糸絡まらないな...
2日目街へ向かっているとトルコ人2人に声をかけられティータイム
話しかけられた理由は僕の内股なんですが、日本人だと言うと大喜びで色々案内してくれました
1人は六本木在住のケバブ屋さん、1人はイスタンブールの俳優さん
会話は日本語です
トルコ人は日本が大好きです
言葉も文法が似てることもあり日本語が堪能な人が多いです
まぁイスタンブールに限っていえばビジネス面での影響が大きいです
基本的に声をかけられたりお茶するとなると、お店の2階や奥の事務所に連れていかれ、最終的に商売の話
というパターンが多くてあまりおすすめはしません
それがめんどくさくなければイスタンブールではいつでもトルコ人とお茶を飲んで楽しく過ごせます
僕は毎日いろんなお店といろんな人に誘われてアップルティーを飲んでました
彼ら2人は商売人ではないのでホスピタリティに溢れた根っからのトルコ人で日本へ荷物送るのを手伝ってもらったり、公園で一緒にビールを飲んだりケバブをご馳走になったり一日中付き合ってくれました
トルコ人のおせっかいは旅人界隈でかなり有名なので、皆さんが旅行中に話しかけられても、他に用事がある時は素直に断りましょう
帰ってベッドに戻ると来客
三日目
ブルサ観光
ブルサという街はあまり有名ではありませんがオスマン帝国の首都だった歴史ある街です
前日オススメされたのでツアーを使って行ってきました
40人乗りの満席バスに日本人は1人だけ
心細くバスの外を眺めていると、隣に座っていた同い年くらいの女性がチョコをくれました
僕が簡単に餌付けられた女性は、パレスチナ人のラナ
お母さんと旅行中で、英語が上手なのはカタールの大学に通っているから
ガイドの通訳をしてもらったり、おしゃべりしたり一緒に小さな折り紙で鶴を作ったり、ラナのおかげでバス移動も暇しませんでした
ブルサはスキーヤーにも有名な街で、ウルダー山という山があります
ここは頂上へリフトで登ってからの景色
雲の上なので天気も良く一面の雲海を眺められます
ただ...寒い!!!!
リフトを降りてサウジアラビアからのおじいさん達と記念写真
途中まで降りるとそこは雲の中。
ゴンドラも何も見えません
このゴンドラでは二家族と同席になり、子どもたちにマジックを見せて遊んでました
手が冷たくて擦っていたらお父さんがマフラーと手袋を貸してくれました
ブルサの街中にあるお土産屋さんのランプ
ランプがあるだけでお店の雰囲気ががらっと変わるトルコの不思議
自由時間に迷い込んだバザール
万国共通歌うような大声で魚、野菜、タバコに雑貨などが売られています
じゃがいもが3キロ40円っていう恐ろしい安さだったけれど、持って帰るのは大変そう
帰りはフェリーも使ってのんびりイスタンブールへ
トラックの運ちゃん、パキスタンの大家族、みんなに呼ばれていろんな席にお邪魔してお菓子つっついてました
気づけばバスの中の半分以上は仲良しになり、みんなと順番にお別れをして宿へ
シャワーに入って温まるも、これは完全に風邪ひいた
四日目五日目は土砂降り
雨ばっかりでも要所要所で晴れてくれてるので天気に恵まれてると思ってます
夜はトルコ人俳優カヤさんにディナークルージングに連れていってもらう予定で、予約もしていたんですが
雨のため中止
これがイスタンブール1番の心残り
とはいえ、その夜から高熱にうなされ動けずにいたので、雨の中無理をしなくて良かったです
五日目、今日が最後と力を振り絞って近場を観光
トルコ人みんな大好きなスープ
かぼちゃのスープかな?レモンを絞ってパンをつけて頂きます
アヤソフィアの隣にある地下宮殿
体がだるいのであとはほとんど宿で寝ていました
イスタンブールは食べ歩きがオススメです
おばけじゃがいもの中身をペーストにして好きなおかずをのせていくクンピール
皆さんご存知ケバブ
ケバブと言うと基本的にはサンドではなく定食のような形で出されます
金角湾の魚達、特にサバサンド!
どれもお手頃な値段でお腹にも溜まるので、宮殿やモスクを眺めながらお腹と目を楽しませましょう
戻ってきて天気がよければ、エフェソス、パムッカレ、カッパドキアどれかに行ってみようかなと思っています
リアルタイムヨルダンのアンマンからでした