戦争がもたらしたもの。消えた記憶【コヒマ→インパール】
誰のためでもなく、なんとなく買ってあったお土産が知らぬ間にリュックの中で壊れていました
これは断面図で、半円柱のマグカップなんです
書いてあるのを訳すと
「お金全部ヴェネツィアで使っちゃったんだ。だから1/2のマグカップしか買えなかったよ」
日本で最初に会った人にあげようと思ってたんですが残念
さて、前回のグワハティからさらに東へ向います
ここから東は鉄道がないのでバスでの移動となります
意外と大きなターミナル
コヒマのあるナガランド州は名前の通りナガ族の土地
モンゴロイドで顔がアジア系なので親近感があります
山沿いに並び立つ住居
これが山全体に広がっている絶景は僕の写真技術では伝わらないでしょう
とにかく感動しました!
また、この家々をくぐって行く道も情緒があって素晴らしいです
斜面に並ぶ街並み好きなんですよね〜
グワハティからコヒマまでは約13時間の旅
一級のツアーバスかと思うような絶妙なタイミングで日の出
ここを訪れた理由は第二次世界大戦に遡ります
このコヒマもその舞台となりましたが、戦後英国の教育に始まりインド独立後今日に至るまで、日本軍についての歴史教育は行われていないため、そのことについて知っているナガ族は極わずかなです
そんな歴史の流れに複雑な気持ちを感じながら、この美しい街並みを眺めます
コヒマから再び長距離バスでインパールへ
グワハティから始まる東部の道は、今まで経験してきた陸路の中でも最大の悪路です
どのくらい揺れるかと言うと、バスの中で携帯に表示される文字が一瞬たりとも読めないくらい揺れます
1分に1回はお尻が席から浮き上がるので、これを長時間運転するドライバー達には頭が上がりません
隣のナガ族のお兄ちゃんが買ってきたおばけいんげん豆
物流が限られているので、別の土地で買える食材は変わり映えのしない食卓を彩る貴重なお土産
こういうシンプルな生活すごくいい!
さて、マニプル州インパール到着!
極東インドの更に端とはいえ、やっぱり人は多いですね
インパール名物Ema Market
このマーケットは女性しか出店することが出来ないんです
北海道を思い出して魚の燻製を購入
そして向かうは隣町Nambolにある戦争記念館
町移動の乗合タクシーが出ているので、それを捕まえるととてつもなく安く移動できます(20km30円)
トゥクトゥク1台に9人という人生初の経験をしましたが、隣の女子高生とおしゃべりができたので満足満足
若い子は田舎でもみんな英語が上手です
さて、そろそろインパールと日本の関係を説明しておきましょう
数字や経緯など詳しいことはこちらの記事参照
とてもわかりやすく説明されているので、ぜひ一読してからこの先へ
簡単に解説
太平洋戦争末期、太平洋でのアメリカとの戦闘が激化する中、中国の国民軍との戦いに終止符を打って戦力を集中させたい日本陸軍は、占拠しているビルマの前線を進めインパールを電撃攻略することで、英国インドからの補給ルートを断つという作戦を提案します
悪路と雨季の影響もありこちら側の補給路が確保出来ないと踏んだ本営はこの作戦を保留
が、ある陸軍中将の独断により「弾薬と補給は敵から奪うべし」との無謀な命令の元インパール作戦(ウ号作戦)は実行へと移されました
結果は戦史史上最も愚かな作戦と呼ばれる大惨敗
参戦した日本兵の9割が死亡するという異常な事態にも、幹部は責任追及を恐れ撤退の判断を下せなかったのです
元々この地域にはインド人とは異なるアジアの少数民族が暮らしており、日本が必ず英国から独立を勝ち取ってくれると信じて日本兵に助力したのが、先のナガ族を代表とするマニプル州の人々
戦後長らく外国人の立ち入りが禁止されていたこの地域には、地元の人々が建てた日本兵の碑があるのです
こちらがその碑
右翼でもなければ、怨念やら幽霊さえ信じていない僕ですが、この石碑の前に立った時には鳥肌が立ちました
70年も昔に、この異国に10万の日本人が立っていたとは
当時使用されたであろう砲門
この砲一門につき、一日に支給された弾薬はわずか2発だったそう
米尽き弾尽きた日本兵には石つぶてを投げる投石部隊まで編成されたというのだからその無謀さが伺いしれます
皮肉な文言です
どれだけの日本人が、涙を飲んでこの道を撤退し、英軍の爆撃機に背中を撃たれたのでしょう
日本の土の上で、守る人を背中にしょって、敵に向かって死ねたなら
ただ華々しく散ることさえ叶わなかった兵士一人一人の故郷を思う気持ちにただ胸を締め付けられます
唯一善戦し北のコヒマを落とした第3師団師団長は、餓死者と病死者、補給の絶望的な状況に、軍法会議での死刑を承知で独断撤退を決定しました
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」
この平和記念館の隣には同じく多くの病死者を出したイギリス軍の記念館も併設されています
日本兵の死体で埋め尽くされた白骨街道と呼ばれた道を再び戻り、次の目的地へと向かいます
日本に限った話ではありませんが、戦争参加国はもう少し第二次世界大戦について少なくとも自国が行った戦争行為に関して学ぶべきではないかと思います
日本がどの国に侵略し、どんな戦争を行ったのか、それを知らずに「こことここは親日国だよね」なんて言っていると、いつか同じ過ちを繰り返すことになるのではないでしょうか
二度と戦争が起きないことを心から願って