ポーランド-ワルシャワで世界史を学ぶ
夜行バスに揺られること7時間40分
6ヶ国目ポーランド!!
まずは首都ワルシャワから観光していきます!
ポーランド(Poland)🇵🇱
人口:38,485,779人(東京大阪神奈川くらい)
面積:312,678k㎡(北海道4個弱)
首都:ワルシャワ
言語:ポーランド語
通貨:ズウォティ(zt or PLN)=30円
物価:★★★
朝6時半寒いです。
寒いし霧がかかっているのでワルシャワ駅内のマックで2時間ほど仮眠を取りました
(ヨーロッパのマックは無人販売機があります)
荷物をロッカーに預けようと思ったんですがコインがない!
両替の時お願いすればよかった
仕方ないのでカフェでコーヒーを買うも紙幣でお釣りを渡される
No coin. どういうこと?
聞いてみるもポーランド語しか返ってこない
ポーランドは国の紹介でわかる通り今回の旅の中では今のところ1番大きな国です。
ただ首都の中央駅でさえ英語通じません
そういえばリガで、西に行くほど英語通じなくなるんだよって教えて貰ったっけ
バルト三国や北欧では、母国語がマイナーなので小さい頃から英語教育が行われます。反対にフランススペインイタリアドイツといったメジャー言語の国では隣国の言語が優先されてあまり英語喋らないんだとか
まぁアフリカよりはまだ楽だからいいか
とりあえずコインがないとトイレにも行けない
無駄遣いも嫌なのでお金のかかる観光施設から回ることにします
そしてこの陰鬱な天気もまたポーランドらしいというか、始まる前から憂鬱な気分にさせてくれます
ポーランドを観光する上でその暗い歴史と戦争の傷跡に触れないわけにはいきません
できるだけ歴史の教科書にならないよう努めますが、文章が多めになるので、周辺国を含む負の歴史を見る気分になれない人は読み飛ばして下さい
霧と寒さとお金の問題から最初に向かった先は
ワルシャワ蜂起博物館
ポーランドは1000年の歴史を持つ国ですが、実際自主統治はほとんどしていません
世界史で特にフォーカスされるのは、3度にわたるポーランド分割です
簡単に説明すると、周辺3強国に勝手に領土を分割されポーランド自体が消滅するという悲劇です
中欧の要所として常に他国に侵略され続けてきたポーランドは、北にスウェーデン、南にオーストリアハンガリー、西にドイツ(旧プロイセン)、東にソ連(ロシア)と隣接する全ての国に領土を狙われ、奪われてきました
そのため独立回復のための蜂起が何度か起きていますがほとんどが鎮圧されています
その中でも最大の悲劇となったのが第二次世界大戦中のワルシャワ蜂起です
対戦時、ナチス・ドイツはワルシャワにおいて、ユダヤ人殺害、ポーランド人知識層の逮捕を連日行いました
ポーランド地下政府は、ソ連からの支援をこぎつけるためにワルシャワでバリケードを築き蜂起を決行します
このワルシャワ蜂起には女性や子供を初めとするワルシャワ市民が多く関わっていました
それから2ヶ月間、人数と装備の圧倒的不利の中で、信じられないほど長くドイツ軍と戦い続けます
実際にはソ連のスターリンは英米との密約で戦後ポーランドの大部分を併合する約束を取り付けていたため、独立を目指すポーランド政府への支援を拒み進軍を保留するどころか、ポーランド将校含む23000人を秘密裏に処刑していました(カティンの森)
ドイツはこの蜂起への報復として、占領国への見せしめに全ポーランド人の抹殺とワルシャワの完全な破壊を命じます
それは毒ガス、赤十字病院への直接攻撃、一般市民含む4万人を一日のうちに射殺するなど国際法を完全に無視した虐殺でした
それだけにとどまらず、大戦後も、ソ連傀儡政権の新ポーランド政府はプロパガンダによって蜂起に関わった人々を戦火を拡大させた売国奴として逮捕弾圧します
この自由のための必死の蜂起が歴史的に認められるのはその後30年以上たった後でした
と、ざっくりこんな内容なんですが、博物館では容赦なくその映像や写真、資料が展示され、武器や食糧のない状態でどうやって戦い続けたのか
その主人公達は下水道を使ってメッセンジャーをした子供たち、女性衛生兵、聖職者、医者、学者、芸術家といった一般人でした
ただ人間らしく生きたかった人達の想いに胸が締め付けられる体験でした
日本語の音声解説があり、全部聞いてたら3時間もかかりました
写真撮影は大丈夫なんですが撮る気になれなかったので入口のこれだけ
蜂起直後のワルシャワ市民たちの生の声や音声が電話から聞こえます。喜びと熱意に充ちています
とにかく苦しかったです。
8歳の子供の日記の最後のページに力強く書かれた「それでもドイツのしたことを忘れない!絶対に!絶対に!絶対に!」
ヒトラーを思想家、軍略家、指導者として再評価する声は今も根強いですが、その評価を考慮して余りある犯罪者です
統治者として最も不適格な彼が権力を持ってしまったことが最大の悲劇ですね
スターリンも同様です
さぁ少し気持ちを切り替えましょう
この調子だとアウシュヴィッツを耐えられません
あの有名なショパンの愛した街として、様々な飲食店、ホールでショパンの曲が演奏されています
さぁやってきたのはポーランド王宮
立派ですね。WiFi飛んでました
そしてその庭
ワルシャワ最大の教会聖十字架教会
は、外壁修復中でした。
中にはショパンの心臓が埋め込まれた柱がありました
左側手前の柱に記念碑が取り付けられています
このベンチはボタンを押すとショパンの曲が流れます
科学博物館ですがコペルニクスが銅像として座しているのはかなり皮肉ですね
彼の地動説はカトリックプロテスタント共に諸手を挙げて非難しました
博物館に長くいすぎたので昼食とるまもなくワルシャワ郊外のヴィルヌフ宮殿
ヴィルヌフ宮殿と街の中間にある水上宮殿
ショパン好きにはまだまだたくさんの施設がありますが、博物館に長くいすぎたこともありこの辺で終了
街中は学生だらけでした。修学旅行のシーズンなのかな?
今日もまた早足で バス停へと向かい夕方の便でポーランド南部の街クラクフへ
結構な距離でしたがチケット買うのが面倒だったので歩きました
ここ4日間万歩計の表示が1日平均36000歩となっています。足が痛い。どこかで1日ゆっくりしたい。
ヴィリニュスで教会巡り【旧市街30教会写真付き】
リトアニア北西部シャウレイを経由して首都ヴィリニュスへ
ヨーロッパ諸国の移動はバスが安く便利です
深夜に到着したヴィリニュスはとても静か
タリンやリガとは一味違った雰囲気を感じつつ今夜の宿B&B&B&B&Bへ
1階がバーでとてもオシャレな作りです
そしてホテルの前には長蛇の列
今日は土曜日、バーではクラブのような盛り上がりでスモークがすごい
宿泊客は入場無料らしいので見に行ったんですが飲まずに出てきちゃいました
気持ちの切り替えが下手なのでバスの睡眠モードから盛り上がれませんでした
早朝
荷物を宿に預け(だいたいどこの宿でもその日の観光中は荷物を預かってくれます)
徒歩でヴィリニュス観光開始!
リトアニア(Lithuania)🇱🇹
人口:3,250,000人(静岡県と同規模)
面積:65,200k㎡(北海道2/3個強)
首都:ヴィリニュス
言語:リトアニア語
通貨:ユーロ
物価:★★★
リトアニアは敬虔なキリスト教国であるためヴィリニュス旧市街は教会の数が半端じゃありません
とりあえず到着前にマップで調べた感じでこのくらいあるのでハードスケジュールです
ということで、どんどん行きます
日本語に訳されていない場所もあるので英語表記混ざりますが無理やり訳しているものもあります
Charch of all saints
ちょうど礼拝中だったので参加
大戦中、ユダヤ人ゲットーへの道にあったこの教会はゲットーとトンネルで結ばれ、人道支援を行ったそうです
今日が日曜日なことすっかり忘れていました
図らずもいい日に教会観光ができて良かったです
もちろんリトアニア語進行なので、なんの話なのかは分かりません。単語だけ拾ったところではおそらくパウロの伝道
聖テレサ教会
祭壇はリトアニア一豪華なそうで、ステンドグラスが素敵でした
門の中
三位一体教会
旧市街の入口夜明けの門
逆側(外側)からみるとこんな感じ
小さな祈祷所があります
聖霊教会
ここも礼拝に参加
ロシア正教は初めてですが神聖な雰囲気の中静かに行われていました
聖カジェミェシュ教会
トップに王冠がついています
聖母マリア教会
Church of the Ascension of the Lord
ここは市内でもかなり古い建物で閉鎖されています
大戦中は病院などに利用され教会として利用された期間はごくわずか
訳すとキリストの心教会
丘の上から一望
ここから見ても教会の尖塔の多さが分かります
ウジュピス教会
実はここウジュピス共和国という0.6平方の独立国(もちろん未承認)
アーティストの多かったこの地域、リトアニア独立後も復興が後回しにされ、耐えかねた住人が独立宣言したそうです
年に一度独立記念日には入国審査があるそうで、国の司祭や国旗等もあるそうです
ウジュピス地区にはこういった廃墟のような雰囲気もあります
壁アート
ここが中央広場にあたります
並び立つ2つの教会
こちらが聖フランシス・ベルナルド教会
元はゴシック様式ですが、ルネッサンス、バロック様式の改修もあり要素満載の建築です
礼拝が始まる所だったので参加してきました。観光客も多くスピーカーで外まで説教が聞こえます
ちなみにカトリックと正教会では礼拝中に何度か十字をきる場面がありますが、その順番が異なります
東方正教会-頭→お腹→右肩→右肩
カトリック-頭→お腹→左肩→右肩
です。ヨーロッパ観光やクリスマスに礼拝に参加した時はぜひ真似してみてください
何か感じられるかもしれません
こちらが聖アン教会です
教会遺産博物館
教会なのに博物館とは不思議な感じですね
元々はカトリック教会です
聖Theotokos教会
ロシア正教の総本山でしたがカトリックや大学図書館として利用されてきた歴史を持ちます
聖パラシュバ教会
いろんな聖人の教会(名前が長すぎる)
聖ジョン教会
ヴィリニュス大学の管理で学生のコンサート会場としても利用されています
Divine mercy charch(神聖な慈悲)
「慈悲深いキリスト」の絵が有名
10ヶ国語で書かれた石版の日本語は、私はあなたを信頼します。でしたが、trustの訳は「信じます」の方がしっくりきそう
祝福の精神教会
聖イグナティウス教会
聖Kryzaus教会
Cathedral Basilica of St. Stanislaus and St. Vladislav
ひときわ大きな教会と広場、市街地北端に位置しており、公園などの緑地も広がる憩いの場といった感じです
リトアニア最大の教区を持つローマカトリックの総本山です
大きいです。内装は素朴ですが、他のゴシック建築では味わえない迫力があります
先述の公園を歩いているとなにやら高い建物発見。
もちろん登ります
ゲディミナス城跡
建物の頂上まで登りヴィリニュスを360度見渡すことができます
旧市街は赤色の屋根とたくさんの尖塔が中世の雰囲気をこれでもかと醸し出しています
よく見ると少し先にもう少し高い丘
もちろん登ります
3つの十字架の丘
軽い登山でしたが最高の景色です
旧市街は歩くのももちろんですが、こうして高いところに登って一息つくのも楽しみ方のひとつかなと思います
下りは違う道で
聖ペテロパウロ教会
この2人はどこの街でも一緒のことが多いですがなぜなんでしょう
内装はシンプルな白ですがよく見てください!
この細かい彫刻!建築後100人を超える彫刻家の手により30年をかけて2000の彫刻が出来上がりました
祈りすぎてなにか降ってきた
と思ったら空港でした
夕暮れの河川敷散歩も大好きです
右手に見えるのはラファエル教会
聖ジョージ教会
ここも入口が見当たらなかった。正面の門は閉まってたので終了だったのかな
Church of the Assumption of the Blessed Virgin Mary
同じく時間切れで外からです
聖フィリポヤコブ教会
KGB博物館によって公園でのんびりしていると鐘の音
18時半に鳴るということは時報ではなく夕拝の合図かな?
かなり大きな教会 礼拝始まったところでした
リトアニア語と手話通訳を必死に解読しようとしましたが分かりませんでした
聖歌隊のいる礼拝が初めてで、歌声だけでも行った価値がありました
4つも礼拝に出たので日が落ちてしまいましたね
Evangelical Reformed Church
聖キャサリン教会
コンサート会場として有名で、ロックのライブも行われているそうです
のこり3つ急がないと!
餃子屋さん発見
コメが食べたすぎて入店
不思議なメニューでしたが牛丼はしっかり牛丼でした
聖ニコラウス教会
完全に時間切れですね。地元の裏路地の教会はライトアップもないので見づらくなってしまいました
ごめんなさい
ここはリトアニア最古の教会です
天国のマリア教会
といったかんじ
聖Mikalojaus教会
戦争中に弾圧され市内に40以上あったユダヤ教会の中、今も残るのはこの教会1つです
以上!
日曜日ということで、礼拝中の教会や撮影禁止の教会もあったので内部の写真少なくてすみません
また現在は教会堂としてではなく博物館や遺跡となっている場所もあるのでもしヴィリニュス観光中にミサを体験してみたい方は、事前に時間等調べていくといいです
基本的に入場は無料で、キリスト教徒ではなくても参加できます
教会は建築家や芸術家、歴史を通してみるのも一見の価値がありますが、やはりそこに集まった人達と時間を共にすることで本来の意味で教会ごとの空気を味わうことが出来ると思います
いやー一日に30教会と4つの礼拝は人生最多でした!
心が洗われたと言うよりもはや漂白されました
深夜のバスでヴィリニュスを後にします。
これでしばらくは旅路も守られるでしょう。
シャウレイ十字架の丘への行き方〜ヒッチハイクのすすめ〜
前回記事で次はヴィリニュスとお伝えしましたが、その前によるところが出来たので訂正します
シャウレイinリトアニア
多くの人は聞いたことの無い街だと思います
実はこの街ちょっとした有名観光地です
田舎町で市内にこれといった観光スポットはないのですが、郊外に一つだけ世界中の観光客を集める場所があります
それがここ
リトアニアもまたバルト三国の1国としてロシアやドイツの侵略に苦しめられた歴史を持ちます
敬虔なキリスト教国であるリトアニアでは全土からこの地に人々が集まり、故人を悼み、忘れないためにここに十字架を立てていきます
リトアニア兵から日本人まで様々な人種と時代の人達が悼まれていますが、ソ連の支配時代に何度も撤去が試みられ、その度にリトアニア人は非暴力の抵抗の象徴としてこの丘を作り上げてきました
その想いはこの長い道を通るだけでなにか神聖な、重苦しくも美しい感覚で伝わってきます
さてそんな十字架の丘ですが、アクセスは観光客向けとは言い難い不便さです
真昼の時間を除けば2時間に1本、夕を過ぎればバスでのアクセスがなくなるという北海道並の田舎です
ここのためだけにシャウレイに1泊というのも時間を余すということで旅行者は朝早くこのシャウレイを訪れるわけですが、僕の場合朝弱く、12:15リガ発15:00シャウレイ着のバスで訪れることになりました
首都から遠いということもあり英語話者が少ない街
インフォメーションで聞くとマニュアルのような紙を渡されました
プラットフォーム12
バスターミナルを出たところで、話しかけてくれた子供たちに道を尋ねる(China!って言われたのでNo.I'm Japanese. Do you know?と聞いてみるとNinjaって言われました。侍じゃないんだ。)
どうやらプラットフォーム12ははるか先にあると
地図で見てみると3.4km先、これは大変だと歩いていて少し違和感を感じました
3.4kmならそこまでのバスも案内するべきじゃないのかな?
とりあえず近くの人に聞いてみる
英語は喋れないらしくリトアニア語で熱心に説明される文章をジェスチャーから読み取るとどうやら逆サイド
仕方ないので逆向きのバスで尋ねると「そこまで連れてってやる」とのこと。
これは優しいと思ったら連れていかれた先はまさかの到着停留所!
シャウレイでは各市内バスの停留所に番号が振ってあります
しかし、十字架の丘に向かうバスは市外バス
つまり長距離バスターミナルの12番で待てってことだったわけですね。歩いて15秒でした
※バスでの行先は Domantai という場所になります。バスで30分はかかりませんが、帰りのバス停までは距離があるので、丘からバス停まで20分ほど見ていた方がいいかもしれません。往復の時刻表は曜日や季節によっても異なるのでインフォメーションで貰いましょう。
そんなわけで直近のバスに乗り遅れた僕は次の目的地ヴィリニュスの宿をキャンセルするか、十字架の丘を諦めるかの2択におわれたわけです
フルマラソンの興奮冷めやらぬ僕は地図で12kmという数値を見て3時間なら観光して戻ってこれると意気込みましたが、ロッカーが見つからない!(これも18時までなら預かり所あります)
さすがに23kgの荷物を持って走る自信はなかったので困った
よし、ヒッチハイクしよう
ヒッチハイクは4年前に本州1周と、3年前に友達と二人でGWを使って経験済みだったので懐かしさに胸をふくらませて親指を立てる
懐かしい感覚、車の中から向けられる嘲笑、不思議な顔、無関心、もちろんそんなものに負けてせっかくの観光名所を諦める気にはなれなかったので精一杯の笑顔を続けます
シャウレイ在住のギントスさんが乗せてくれました
エンジニアとビジネスマネジメントの仕事を両立させる彼はバルト三国を行ったり来たり
ヒッチハイクだからリガまで載せるつもりだったよ。とハイカーの神様のような方でした。
彼が経営に携わっている地元の会社の無添加天然酵母のパンを頂き、リトアニアで何か困ったら連絡してと名刺まで貰ってしまいました
この温かさも懐かしい。何も返すものがないのが心苦しいから次からは鶴折ってリュックに入れとこう!
見えてきました
ものすごい数です
2つの丘を囲んで無数にあります
大きな十字架
小さな十字架
倒れた十字架
一つ一つにかけがえのない想いが込められているんでしょう
丘を真っ直ぐ貫く長い道を歩き、静かな風景に心を合わせます
そして帰り道、バスの発車の10分前に向かえばいいだろうと思っていた僕
あれ?車で来たからバス停が分からないぞ
バス停なら国道に出たところだよ
Thanks
国道まで2km
さすがに走っても荷物を持っては無理だろうと途方に暮れていると、十字架の丘からの帰り道のおじさんが、乗っていきなとダンディサイン
行先は逆方向のリガですが、とりあえずバス停まで行ければそれでいいですと寿限無のようにThank youだけを繰り返しなんとか1分前にバス停へ
27分
まだ来ない
これが海外か
32分
まぁヴィリニュス行きのバスはまだ大丈夫だ
45分
ん?どっちだ?遅れてるのか先に出発してしまったのか
55分
ヒッチハイク開始
56分
シャウレイ在住のお兄さんに乗せてもらう(名前が聞き取れなかった)
たぶん同い年くらいだと思う。無口な優しい方でリトアニアのこと色々教えてもらいました
そんなわけで無事ヴィリニュス行終バスに間に合ったわけですが、ヨーロッパはヒッチハイクが1番早いことがわかりました。
日本でヒッチハイク旅をしていた時は、親指ではほとんど止まってくれず、ボードハイク(スケッチブックに行き先を書いて掲げるタイプ)で20分30分は普通、1番長い時は2時間やって捕まらず、泣きながら林の中でキャンプしたこともありました
が!
シャウレイではどちらも1分かかりませんでした!
ヒッチハイク自体の知名度、国民性あると思いますがヨーロッパのヒッチハイクはありです!
お互い母国語ではないのであえて喋らず無言の時間というのもこっちが気にしなければ向こうも気にしません
あと同じ道を走った時にバスに較べて圧倒的に早いです
急ぎの方、出会いやおしゃべりを楽しみたい方、バス電車の時間とか予約とかお金とか面倒くさいなって方、そんな方に断然ヒッチハイクオススメします
ヒッチハイクというのは最初親指を立てるまで(ボードを掲げるまで)が98%です
1度親指を上げてしまえば、現地情報盛りだくさんの素敵なドライブに繋がることがほとんどです
もちろん場所や時間、ハイカードライバーそれぞれの性格に大きく依存する移動手段なので、僕の経験で全てが上手くいく極意を伝えることは出来ませんが、本当に困った時は日本よりも浸透した文化としてヒッチハイクというものもあるよ。という程度に覚えておいてください
今回ひとえに無計画のため立ち往生した僕を助けて頂いた3名のドライバーの方々。
本当にありがとうございます。
皆さんとのドライブは十字架の丘と共にリトアニアの思い出として僕の中に残り続けます。
もちろんバスも時刻表さえ把握していれば素晴らしい移動手段です
ヨーロッパの国際・国内バス事情については後日改めてまとめるので予定のある方は参考にしてください
移動・食事・宿泊
この3つ、大小関係が違うと旅行も180度変わってきます
卒業旅行、長期休み、友達と出かける際は何がメインでどこにお金を使うのかしっかり相談してから出かけるのがいいと思います
僕の場合は
出会い>>食事>宿泊=移動>時間
ですかね
ずるいって?
バックパッカーだからいいんですよ♪
次こそはリトアニア首都ヴィリニュスですね
あー肉食べたい!(バスターミナルのスーパーマーケットにて)
ラトビア-リガ観光~観光よりもお喋りしてた話~
タリンからバスで南下すること2時間半
街並みは変わらず中世を残した旧市街が広がります
バルト海の真珠リガ!
規模はバルト三国の都市の中でも最大です
ラトビア(Latvia)🇱🇻
人口:2,014,000人(岐阜県と同規模)
面積:64,589k㎡(北海道2/3強)
首都:リガ
言語:ラトビア語
通貨:ユーロ
物価:★★★
観光名所は同じく旧市街に固まっているものの、人種はエストニア人とはまるっきり違うラトビア
わくわくしながらまずは宿まで恒例の夜景観光
建物が高い!
タリンを歩き慣れた気分になっていたので地図なしでも歩き回れると変な自信を持っていたんですがあまりの広さにギブアップ
とりあえず大きな建物、広場を目指す
聖ペテロ教会
市庁舎広場
チェロかな?相変わらず街にぴったりの音楽を奏でる男性
うん、なにもかもでかい!
通りも気持ち広い気がします
これは明日の街歩きも期待できそう
10時過ぎにスーパーでピザとタバスコを購入し早足で宿へ
スーパーに巻き寿司自作セットのコーナーがありました
ヨーロッパでは寿司というと巻き寿司、乗っているタイプはNIGIRIと訳注ついていることが多いです
帰り道によく考えたらチーズのせたパンもピザもケチャップくらいしか違いはないんですがそれでも貴重なホットディッシュ!
電子レンジはどこかなとわくわくしているとストリート系の白人お兄ちゃんが入ってきました
ハーイ!
日本人だろ?
あ、ピザじゃん!
実は今誕生日パーティ中なんだけど一緒にどう?みんなで食べた方が美味しいしビールもあるよ!
と、怒涛の挨拶に相槌を打つ暇もなく誰のかはわからない誕生日パーティに参加することになりました
ホステルの隣の建物の1階がパーティ会場。楽しそうな声、明かり、これはエストニアとは違う雰囲気が楽しめそう
部屋には昔ながらの薪をくべた暖炉、若もの六人、老人がお二人
テーブルの上にはシーシャ(水タバコ)とビールが沢山
自己紹介もないままビールを渡され会話に混ざる。隣のポルトガルの兄さんもどうやらよく分からずに誘われてきたらしい
話していると横から
君は日本人だろ?とおじいさん
そうですけど、アジア人の中で見分けはつくんですか?と尋ねると
日本人は見た目でわかるよ。他はわからんがドイツにも日本人が沢山いるからね
と、どうやらドイツ人ということが判明
隣のおばあさんはいとこでフランス人だそう
2時間ほどパーティが続きポルトガル人がベッドへ戻りお開きかなと思ったら「お酒買いに行ってくるけどビール飲むかい?」
ヨーロッパは多くの国で遅くとも22時にはお酒の販売が禁止される
ラトビアもそのはずなので聞いてみると、この時間からがラトビアだよ!見せてやるよ!
友達含め3人で近所のバーへ。ヨーロッパの若者は夜にお酒がなくなるとバーにこっそりお酒を売ってもらうらしい
バーテンダーと交渉すること5分、大量のビール、お代はいらないから
これに関してはラトビア語だったので全くわからないが、深い仲なのかラテンのノリなのかとりあえず袋を抱えてパーティ会場へ戻る。男性陣はみんな酔っ払っていてハイテンション
Hey! My friend! You are Latvian now!
と仲間にされたあたりでやっとソファに座っていたイオランタという女性が誕生日だということを知る。そしてラトビア人はみんな従業員
瓶ビールの蓋を使ってマジックを披露しラトビア人になり切ってパーティを楽しむ
ドイツ人とフランス人がベッドに戻ってからは全てラトビア語進行だったので9割は分かっていないが、彼らも気を使って彼らの知っている日本の音楽を流してくれた(千本桜と浜崎あゆみの曲をいくつか)
ちなみにラトビア人は女性>男性が絶対らしく、女性は飲んでもかなりしっかりしていて男性陣は潰れて甘えん坊になっていた
3時を過ぎた頃にクラブに行こう!絶対後悔させないからと誘われるも、行きたい気持ちを無理やり押さえ込み、翌日のリガ観光のためにベッドに戻った
2日目
ビールのおかげで二日酔いはなく、昼前にリガへ
レセプションではイオランタが眠そうな顔で仕事をしていた
さて、やっと観光案内!
リガ旧市街には、建築、市場、モニュメントと観光スポットがびっしり
まずは1番人気聖ペテロ教会(昼ver)
とその展望台からの景色
エレベーターで登りますが7€と少しお高め
ブレーメンの音楽隊
リガの街並みはドイツの影響色濃いそうです。ドイツロシア戦線として長く被害を受けてきた地域ですが、国民の印象ではドイツ支配時代が良かったと言う人が多数
(それにしても絶妙に不細工)
ミラーボールのようなモニュメント
市庁舎広場
ヨーロッパ観光都市では無料の観光ツアーが一日に何度かコースを分けて行われています。ここはその集合場所として賑わっています
個人的には夜の方が雰囲気が出ていて好きです(チェロの人がいた場所)
猫
中世、リガ地域のギルドはドイツ人しか入会を許されていませんでした。その隣に立ったこのラトビア人商工会の建物には猫が頂上に飾られましたが、あえてギルドにお尻を向けて取り付けられました。
ギルドへラトビア人の入会が認められると共に猫の向きも変えられたそうですが民族意識の高さはそんな話からも伺うことができます
可愛かったので誰にでもなくお土産屋さんでこの猫のマグネット買ってきました
一旦マーケットをぶらつきます
Granataboli(ザクロ)
初めて食べました。ジューシーで美味しいですが種とこの形で食べるのが難しいです
お惣菜屋さんのカフェスペースでお手頃ランチ、サラダはマカロニサラダのような味でした
再び歩きます
ブラックヘッドハウス
ラトビアライフル部隊の像
独立記念の塔
下の2人の軍人があまりに不動なので修学旅行らしき子供たちが足元まで近寄って顔を覗き込んでました
ラトビア名物チョコレートで有名なライマ寄贈の時計
大聖堂
一通り旧市街を見終わって城跡の外に出ると橋の向こうにオシャレな建物を発見
マップで調べたところ国立図書館
行ってみる
すごい!
本を借りるシステムはマシーンが管理。
これはこれでヨーロピアン
その橋!(長かった)
そして早めの夕御飯
この右側の料理がすごく美味しかった!白身魚とチーズとトマトの料理なんですが、チーズが甘くなくスフレ状で口当たり、食感、食べ応えどれも最高!(←食レポ下手くそです)
宿に戻ってリトアニアの名所を調べたり日記を書いたりしていると昨日のドイツ人とフランス人がお互いに明日経つことだし1杯どうだいと
喜んでいただきました
(観光はこの辺で終わりでここからは長い長いおしゃべりの話です)
ベルリンのビールじゃなくて悪いねとおじいさんはビール、おばあさんは赤ワイン
フランス南部は赤も女性に人気だそうです
お互い観光の話をしているとおじいさんが
ピーターズチャーチ(聖ペテロ教会)はありえないよ。展望台にお金がかかるのは許しても礼拝堂に3ユーロ払うなんてどうかしてる!クリスチャンが礼拝堂で祈るのになんでお金を払うんだ!って怒ってました
今日の2人の目的はロシア戦線で戦ったドイツ兵だった叔父さんのお墓参り。聞く限りかなり悲惨な戦いだったらしい。でも丁寧に埋葬され立派な墓石もあり満足したそう
そんな話にロビーにやってきたバングラデシュ人の男性が加わる
確かに悲惨だけど昔の話じゃないよ。アラブは今どうなっている。シリアやイスラエルが何をした!
ドイツは戦争当事者だけど彼ら民間人はアメリカのビジネスの食い物にされて殺され続けてる!
おじいさんもドイツ空軍の民間企業エンジニアなので国際情勢詳しく議論は白熱。ラトビア人とロシア人も加わりWWⅡの話まで
話には聞いていたもののこんなに当たり前に鋭く政治や歴史の話をする文化は日本ではなかなか考えられない
思うことはあるものの英語でそれを上手く説明する自信はないし、ヨーロッパ戦線のこともほとんど知らない自分になんとも言えない情けなさを感じる
原爆の話が出て話を振られるも、感情論で話したところでそれはパールハーバーも731部隊も同じなわけで、特に何も言えず眉をひそめていた。
中高大でお世話になった歴史の先生方本当にごめんなさい。
最後にはスペイン人も加わってまるで国連の会議
フランス人のおばあさんが耐えかねて、もう戦争の話はやめましょうということで、アメリカはWWⅡから学んでいないという意見で閉会(中国は賢くアメリカと戦っているという印象があるらしい)
話自体は勉強になることばかり
善し悪しではなく、世界を鏡にして日本を見るなら、やっぱり日本のインテリは学歴主義な文系が多いように感じる
新聞に意見を載せるのは大体どこかの文系教授で、理系教授の出番といえば一般人にはさっぱり分からない研究や気候現象を図解で説明する程度。
こちらでは、グラフィックデザイナーもAIや太陽放射による機械工学のリスクを話すし、エンジニアも政治による経済への影響や歴史問題を熱く語る
どこの大学かなんて聞かないけど、なんのPh.D(博士号)かは必ず聞く能力主義
日本のアカデミックな知識人と違いプラクティカルな知識人が多いのはEU内での競争意識や必要性の高さが影響している気がします
とりあえず思ったのは
帰ったらもう少し真面目に勉強しよう
実際はもっと色々な話をしてました
文化の話ではやはり日本に行ったことあるよって話が盛り上がります。欧州は気軽に旅行可能なので日本旅行が珍しいみたいですね
スペイン人は日本好きで東京はもちろん広島の厳島神社やニセコにスキーをしに来たこともあるそうです
日本のホテルや地元の人は信じられないほど親切だよ
道を訪ねた時に一緒に来てくれる人なんてスペインにはいないし、1度間違えた道を教えられた時、その人が走って追いかけてきてびっくりしたよ
そんな日本人でありたいですね
観光からそれて長々話しましたが、建築物にに負けず劣らずこんな経験も旅の醍醐味なので、そんなことも楽しんでるよと報告でした!
次のヴィリニュスはしっかり観光メインで書いていこうと思います!
物価はどんどん安くなっていきます。
各国特産品と税率によって高い安いがありますが、ラトビアはビールが500ml100円しませんでした。住みたい
それではおやすみなさい
エストニア世界遺産タリンをのんびり観光
Tere!(こんにちは)
バルト三国の中でも異彩を放つエストニア!その首都世界遺産タリン!
フィンランドからはフェリーで2時間です
暇な時間にマジックショーを見てたりしてました
バルト三国などの東欧、南欧は日本では知名度が低いのでいまいちピンと来ないかもしれませんね。
それでも!僕の感じた魅力をできるだけ新鮮に伝えられるよう精一杯やってみます!
エストニア(Estonia)🇪🇪
人口:1,340,000人(奈良県と同規模)
面積:45,226k㎡(北海道1/2個強)
首都:タリン
言語:エストニア語
通過:ユーロ(€)
物価:★★★
実はエストニア。今回の旅の目的地のひとつなんです
ふらふらといいながらも楽しみにしている場所はいくつか決まっていて、何故エストニアがその1つなのか!観光しながら説明していきますね
フェリーがターミナルに着き、宿まで歩こうと思ったんですが、地図をよく見るとほとんどの観光名所が宿までの通り道にある!
明日の本番のために軽く眺めていこうかな
街の入口
気分はもう中世の貴族!
ストックホルムやヘルシンキも中世の町並み残る素敵な街だったんですが、タリンはそれらに較べて小さな中世って感じです
小さく感じるのは、城壁に囲まれていること、道路が石畳のまま残されていて大通りがないからです
そのため、タリンの建物は小さく、曲がり道行き止まり分かれ道だらけです
開拓地で行き止まりのない北海道出身者はこういう迷いそうな街並み大好きです!!(たぶん僕だけ)
この建物の名前は「太っちょマルガリータ」
当時街の防衛拠点として武器庫や監獄に利用されていた施設ですが、監獄で囚人の世話をしていたマルガリータという女性が太っちょだったのでこの名前になったそうです
はい、完全に教育委員会行きの案件です
マルガリータは想像したでしょうか?悪意からつけられた自分の名前が、500年後、エストニアを訪れる全ての観光客の入口となり、みんながにやけながら写真をとることになると
三姉妹(three sisters)
実はヨーロッパの物価にびびり、駆け足でラトビアに移動する予定だったのですが、一瞬で心変わり
宿に到着
その名もUnited Backpackers Hostel
受付のお兄ちゃんに2日泊まりたいんだけど、、、
って言ったらもちろんいいよと快諾
手伝えることがあればなんでもするから言ってね。両替すると高いし日本円でもいいよ。とホテルの名に恥じぬ優しさのオンパレード
ちなみに値段は1泊850円です
荷物を下ろしてすぐに出発
夜でも楽しめる観光スポットってあるかな?
「旧市街のほとんどの所はライトアップされてるから散歩でも楽しめるよ」
Aitah!(ありがとう)
綺麗
ラエコヤ広場
こういうテラス席が並ぶ広場は日本にはあまりないですね
大学のフランス語の先生が、「ただの空間は
広場とは呼ばないんだよ。カフェやラストランが並んで、人の集まるところをヨーロッパでは広場と言うんだ」
って言ってたのを思い出しました
スーパーマーケットを見つけたので物価調査に入ってみる
安い!
日本とほとんど同じかものによっては少し安いくらい!
レジは全自動で隣のお客さんが使い方を教えてくれました
これで78€(100円)
なにやら音楽が聞こえてくるので誘われるように路地を進む
街並みにぴったりの柔らかな音色
正体はこのお兄さん!ハンドパンという楽器だそうです(写真は翌日の昼に再会した時撮影したものです)
あまりの美しさに持ってたコイン5€くらい全部いれちゃいました
ぜひYouTubeで聞いてみてください!
花屋通り
自由の広場
さてお腹もすいてきたし、北欧で我慢した分どこかで食べようかなと思ってたら、北欧のかわいらしいお姉さんに声をかけられ即決
タリンの客引きは全然しつこくないです
メニューみませんか?って言ったあとは離れていくのでみんな気楽にメニューを見て去っていきます
黒ビール。飲む前から雰囲気で酔いそう
ベジタブルスープと豚肉の伝統料理を頼んだんですが、スープ多い
とっても美味しかったです。蜂蜜と謎の酸味のある木の実のソースがよくあってました
お姉さんに別れを告げて宿へ
エストニアは英語話者がヨーロッパでも五本の指に入る国。北欧もそうでしたが子供でもおばあちゃんでも英語が通じます。よくそんな速さで切り替えられるなと感心します
洗濯物をして就寝
2日目
今度は昼のタリンを満喫しようと昼前から動き始める
撮影NGですがやっぱりロシア正教会内部の装飾、絵画が豪華絢爛です
ドーム教会(名前があるかもしれない、英語の地図にはこう書いてた)
修復中ですが中世に栄えた教会で、支援していた貴族達の紋章が両壁にこれでもかと飾られています。
ちなみに中世は階級制度なのでこれらの教会はもちろん市内でも丘の上にあります
丘の上の展望台
この写真城壁の上から撮ってます
こんな感じで
丘をおりていきます
昼のラエコヤ広場
ユーロはこれからも使うので両替をしに市街地を出てショッピングセンターへ
城壁の外に出ると突然現実に引き戻されたような都会景色が広がります
お腹がすいたな〜
ん、いい匂い
いい雰囲気
伝統のElk soupと1パイント(600ml弱)のビールをオシャレな器で
トラムに乗ってkadriorg(カドリオルグ)公園へ
カドリオルグ宮殿
ロシア皇帝ピョートル大帝が妻エカチェリーナにおくったバロック様式の宮殿で今は美術館です
その庭
どこの公園もこの時期は紅葉がとにかく綺麗ですね
物価がとても安いので、スーパーに行く気も起きず5€のピザと5€のパスタ。
エストニアはどこのレストランもカフェも無料のWiFiが繋がります。ヨーロッパ一のインターネット天国と呼ばれ、IT分野ではSkypeが生まれた国。今でも多くの外国企業が拠点を置いています
エストニア独立の際ロシアから世界初のサイバー攻撃を受け国営が麻痺した経験を持ち、同じ過ちを繰り返さぬよう世界屈指のIT大国に生まれ変わりました
ただ環境は整っていても技術者が少ないので、企業誘致やスタートアップの設備支援、移民のサポートは他の国に例を見ないほど進んでいます
聖オラフ教会
子供たちの作品や写真が飾ってあります
丘の下の教会なだけあってここが1番ローカルでした
トンネルを抜けると
聖カタリーナ通り
今も続くギルド(商工会)の通りです
帰って来ると昨日の受付のお兄ちゃんが休憩中
話してみると日本に行きたくて日本語を勉強中とのこと。静かな日本を見たいから、福岡や四国を船で回りたいんだ。ってかなりディープ!
ただベネズエラ出身ということで日本ビザが降りない。
主要国で行けない国のない日本人には耳の痛い話
詳しい訳ではないので大層なことは言えないんですが、日本は観光客や移民へのキャパシティや設備が十分じゃない。治安の悪化。わかります。でもそんなのは開かなければいつまでも充実しないんではないかと勝手なことを思いつつ
色んなことを教えて貰ったお礼に名前を習字で書いてあげました。
書いてすぐあげちゃったので写真撮るの忘れたんですが「江戸我流」って描きました
Edgar 英語読みだとエドガーですね
その流れで折り紙も取り出して、あれ?鶴の折り方は忘れたなと思って調べようとしたらトルコ人のEsinが教えてくれました笑(なんで知ってんの?)
バックパッカー達なだけあって折り紙の知名度100%でした。ついでに香港から来た人にカエルまで教えてもらうという情けなさ
Esinの鶴、何だか細部がアーティスティック
宿は和やかで、部屋にキッチンロビーどこにいってもおしゃべり相手がいました
全然知らなかったんですがトルコリラが暴落して行けばリッチになれるらしいです。ということでトルコはビザの許す限りいるかもしれません
あと、モロッコ人の兄さんにアフリカはビザ問題が大変なんだって言ったら、「いいから行ってみなよ、アフリカは決まりより金がものを言うから大丈夫だよ」
うん、そういうのが心配なんだけど、、、
スペインや南米の陽気とはまた違う底抜けの明るさがありますねアフリカ人には
三日目
朝起きて何度も通ったラエコヤ広場の隣の通りへ
パフォーマンスしてきました!
マジックやジャグリングはコミュニケーションの道具のつもりで、飢えるまではストリートパフォーマンスはしないと思ってたんですが、ハンドパンのお兄さんやフルートアコーディオンの演奏を見ていて胸の高鳴りが抑えきれませんでした
1時間20分ほど演技していました
後半腕がきつくなるも「あの子供たちが通り過ぎたら終わろう」「あ、遠くから見られてる。あの人が撮影し終わったら」と止められずにバスの時間ギリギリになってしまいました
集まったお金は18.12€(約2300円)
いくらでもいいです。タリンでしたことに意味がある
子供たちの驚いた顔、飛び跳ねて喜ぶ姿、自分のお財布から投げ銭をしてくれる可愛らしさ
大学時代は大人相手の仕事が多かったので、久しぶりのストリートパフォーマンスを通して原点回帰できたかなと満足してます
昼過ぎのバスでラトビアの首都リガへ向けて出発
外国人仕様のバスは席が広くて快適です。
ユーロって金色なのでお金持ちになった気分になりますね(バスでちゃっかりお金を数える汚い大人)
エストニアのいい所
・街が綺麗で雰囲気も最高
・物価が安い
・日本からのアクセスが良い
・英語話者が多い
・ロシア人とフィンランド人の混血で美人がすごく多い
・ITが強くノマドワークに向いている
住みたい国暫定1位です
フィンランドやロシアといったメジャー国へ旅行する際は是非是非エストニアへも足を運んでみてください!
4ヶ国目ラトビアへ向かう長距離バスの中からでした!
ヘルシンキを一日でまわりきる観光ルート
6時間後のみなさんこんにちは
こっちはまだ16日です
やって来ました北欧2カ国目フィンランド!
ここさえ乗り切れば物価が落ち着くのであとひと踏ん張りです!
先日ストックホルムからフェリーでヘルシンキに来た訳ですが、ストックホルムの経験から丸一日動ければめぼしい所は回れるはずだと見当をつけて詰め込みスケジュールです
ということで丸一日で回るヘルシンキ観光〜♪
まずは紹介から
フィンランド(Finland)🇫🇮
人口:約5,300,000人(北海道とほとんど一緒)
面積:338,400k㎡(北海道4個分)
首都:ヘルシンキ
言語:フィンランド語
通貨:ユーロ(€)=130円
物価:★★★★★
フェリー到着が10時半なので、1時間前にアラームをセット!
ジリリリリリリリ!!!!
さて、もうすぐヘルシンキかー
どこから見て回ろうかな〜
Knock Knock
Excuse me. You go Helsinki?
I do.
・・・
Helsinki now.
ん?ん?どういうことだ?
廊下に出てみると誰もいない。すでにどの部屋にも掃除が入っている
あ!
はい、やらかしました
慌てて荷物をまとめて下船
フェリーターミナルから街の中心部までは歩いて10分
もちろんヘルシンキにもトラムやバス、船に鉄道と公共交通機関が沢山あるのでフェリーターミナルの目の前からもトラムが出ています
しかし!ストックホルムでの反省があるのでまだ代金を支払って乗るのは早い
近いとはいえ23kgの荷物。今回は一日券を買ってトラムを使いまくろう!
ヘルシンキの1DAYチケットは宿泊予定のsuomenlinna(スオメンリンナ
)島までのフェリーも乗り放題
つまり、明日も観光しようと思うなら、明日のタリン行きのフェリー15:35から逆算して、チェックインが、遠い観光スポットが、ロッカーがどこかに、
って考えている間に到着しましたヘルシンキ中心部kauppatori(カウッパトリ)港
フィンランドは大小様々な島で東南部が形成されているため、港はかなり賑やか!マーケットでは果物、乾燥きのこ、靴下、ブランドもの、カフェなんかが並んでいます
買う気もなくウロウロしていると屋台のお姉さんが魚のフライを味見させてくれました。
メニューを見るとどうやら魚料理の屋台らしい
サーモンミルクスープ!!おいしそう!!
もう毎食パンとチーズで温かいものに飢えていた僕はイチコロ
ドミトリーなら普通ポットやキッチンがあるんですが、空港泊だったのでコーヒーさえ入れられず、やっとありついたスープ
パンとコーヒーまでついてきたし
お姉さんkiitos!(ありがとう)
温まりながら地図で前日に目星をつけておいた観光地を調べたところ、1番遠いところでも歩いて20分
これはちょろいな、近いところから回るか
ということで最初にやってきたのがカウッパトリから徒歩5分のウスペンスキー教会
中も見事な装飾なんです
こういう観光地化された教会って管理なんかは誰がするんだろう
ウスペンスキー教会はロシア正教会。僕はプロテスタントなので他人事です
プロテスタントでは偶像崇拝の習慣がないので像や装飾が少なく、観光地になることは少ないんです
もう1つ、ヨーロピアンと呼ばれる尖塔やステンドグラスのゴシック建築は宗教改革より数百年古いので、築何年という話でいえばどうしてもカトリックの建物に重みがでてきます
と、そんな話をしたのは今日のルートが教会巡りだから!
はい、女性陣のみなさん、分かります
フィンランドといえば、ムーミン!マリメッコ!イッタラ!オーロラ!
そんなイメージだと思うんですが、ブランドに疎く男臭い日本男児には豚に真珠なんです
オーロラだけは期待したんですが気象条件合わず今回は断念です
さて、次の目的地は!
あれ?マネーベルトつけてないな、パスポートどうしたっけ?
ガサガサ(バックを漁る)
・・・フェリーに忘れた!!!!!
Perkele!!!
さっそくやらかしましたね
トラムなんか待ってられないのでターミナルまでダッシュ!
朝慌ててでたから机の上かー!
チケット売り場の女性、インフォメーション、清掃員、みんなに聞いて回って客室まで戻りました
清掃員のインド系のお兄ちゃんに確認するも
その部屋にはなにもなかったよ。パスポートは見つけたらさすがに覚えてるよ、スナックとは違うからね。haha.
いや笑えない笑えない!
リュックをもう一度ひっくり返すも見つからず、終わったと思ってベンチに座り込むと
あれ?
後ろポケットになんか入ってる
あった
タリンクシリヤラインの皆さん本当にご迷惑お掛けしました。
はい、ということで時間を無駄にしたのもあり1DAYチケット買うにはちょうどいい時間に
何事も無かったかのようにトラムに乗って観光再開
フィンランドのトラムやバスは基本的にただ乗って、目的地で降りるだけ
お金どうすんの?っていうのは信頼問題だからいいそうです
チケットは持ってるよね?確認はしないからちゃんと買ってね
って治安とかそういうレベルじゃなく優しすぎる
一応地元の方はSuica的なもの使ってる人も何人かいましたが、北欧のバスや電車は長いので見える訳もなくほんとに自己申告です
疑われているかもしれませんが、もし先に知っててもちゃんと買ってたよ?
ヘルシンキ大聖堂。これは比較的新しい建築なので屋根がドーム状です
宗教改革の第一人者ルターもいました
この規模の礼拝堂とパイプオルガンで賛美歌を聞けることことはしばらくなさそうです
またトラムに乗ってカンッピ広場へ
この建物何かわかりますか?
実は礼拝堂なんです。カンッピ静寂の礼拝堂というところで、ここで礼拝をする訳では無いのですが、ただ心を落ち着けて祈るための建物らしいです
中は撮影禁止なので見せられないんですがとっても静かです。扉を開く音、足音、衣擦れ、呼吸、そんなのが響くくらいに無音なんです
僕はかれこれ20分くらい座ってましたが、中国人観光客のお喋りを除けば最高に落ち着ける空間でした
さて、そこからさらにトラムに乗って(もうほんとにトラムが便利なんです。改札も階段もない東京の地下鉄と思ってもらえれば伝わるかな) テンッペリアウキオ教会へ
岩ですね。どこからどうみても岩です。
ここは世界に唯一の天然岩石をくり抜いた教会。
ドーム状の屋根も相まってとても音響がいいので、コンサート会場として利用されることも多いそう
参拝客のロウソクが並んでいました
そろそろお腹がすいてきたのでピクニックに向かいます
シベリウス公園
作曲家ジャン・シベリウスを記念した公園です
かなりの変人だったらしいですが、クラシックは疎いのでイメージがわかない
代わり映えのしない昼食
日も傾き始めて来たので楽しみにしていた最後の観光スポットへ向かいます
途中乗り換えの近くにあったエスプラナディ公園
IZAKAYA
停留所から少し海沿いを歩いて到着
サウナロウリュ!
サウナってフィンランド発祥なの知ってましたか?
日本の温泉と同じようにフィンランド人は裸でサウナに入り絆を深めます
ただこのサウナは観光客も入れるようにと水着着用男女混浴です
フィンランドらしい木のロッカー
受付のお姉さんが日本語でいってらっしゃいと言ってくれました
ここも中はさすがに撮影できませんでした(倫理的な問題で)
仕組みは石に水をかけるタイプの乾式サウナ
フィンランド人めちゃくちゃ水を足すペースが早いので暑いです
サウナで汗を流したあとはテラスに出て海につかる、、、いや北欧人半端ない!
今は秋も後半
水温は2℃か3℃くらいだよって凍死レベルなんですけど!
さすがに北海道でもこれはない
恐る恐る海への階段を降りてたら、サウナの横にあるレストランのテラスから観光客が好奇の目を向けている。
なんだジャパニーズは度胸ないなって思われるのも癪なのであおる
Hey!写真撮っていいよ!
これでもう逃げられない
一気に入って頭まで潜った。
もういいよね?もう写真撮ったよね?
痛い、寒くない痛い!
とりあえず平気な顔を作って一直線でサウナへ
超気持ちいい!!!!
全然不健康な感じがしない。体の外側は冷えてるのに芯が温まってるからすごく気持ちがいい
こんなことを時間いっぱい2時間繰り返してました
慣れてくるとサウナに入りたいって言うより海に入るためにサウナに入っているような不思議な感覚に陥ります
周りのお客さんはカップルばかりだったけど、裸の付き合いは君らだけのお国芸じゃないんだぞって感じで1人の客を見つけては声をかける
やはりフィンランドは日本人観光客が多いらしく、誰と話してもみんな何かしら日本語を知っていた
日本にもサウナはあるけどこんな冷たい海に入るところはないよって話をしたら
まだそんなに冷たくないだろ。ここは一年中やってるから冬に海が凍るまではみんな入るんだぞ
網走監獄の懲罰か!
さすがにそれは無理ですって苦笑いして出てきました
水着のレンタル6€、入場料19€と日本の温泉よりも少しお高めですが、シャワールームに談話室と自分なりのペースでくつろげるので満足感は高いと思います
今日は食費0円なので贅沢って言わないで
帰りに受付のお姉さんに日本語でウミハイッタカ?ってきかれたのでjoo!って答えました
夜のフェリーでホステルのある世界遺産スオメンリンナ島へ向かう
さすがに暗いので宿へ直行
誰もいない
寂しい晩御飯
晩御飯が終わった頃に味噌スープを飲んでいたらフィンランド人が一人とスペイン人が一人来たけどそれだけ
大丈夫かここ笑
フィンランド人の名前はJussi(ユッシィ)、しばらくお喋りしてフィンランドの歴史なんかを聞きました
スペイン人はIker(イケル)有名なゴールキーパーカシージャスと一緒ですね。彼とは部屋が一緒だったので三四時間話してましたが要約すると彼はスペインのセンセイのもとでニンジャスクールに通ってるとの事
手裏剣あげてきました
記事の見出し丸一日っていうのは午前午後って意味なので、僕の場合は午後午前になりますがもう少し続きます
2日目
朝からスオメンリンナ観光
本土侵略に備え対ロシア防衛拠点として作られたこの要塞
住人は数百人程度でとても静かです
さびて残る戦争の跡
フィンランドの独立は実は1919、パリ講和会議での認定なので旧ソ連領の東欧と同じです
それまでは古くからスウェーデンの属国として負担を強いられ、ロシア隆盛の期に多くの地方が侵攻されスウェーデンに助力を求めるも、スウェーデンは中立主義をとり拒絶、ナチス・ドイツに最後の望みを託しますが敗戦。フィンランドもまた敗戦国として多額の賠償責任に追われます
それでも借金を返し終わったあとは、教育水準を高め福祉国家としての体制を作り上げ、ロシア、東欧、スウェーデンの緩衝国としてよい関係を築いてきて今があるのです
フィンエアーが直通で成田と繋がってるのもロシアとうまくやれる唯一の国だからです
(他の直通便はロシア領空を飛べないので時間がかかる)
はい、全部Jussiの受け売りです。
勉強になりましたね。僕もです。
フィンランドと言えば日本人にはかもめ食堂のロケ地としても有名で、実際にかもめ食堂というお店もあるんですが、未鑑賞なのでまた今度です
期待していた方がいたらごめんなさい
北欧の美しき乙女フィンランド
ストックホルムより少しローカルで穏やかな印象でした
そして出会ったり見かけたりした日本人30人くらいいたんですが見事100%女性でした
女性の方がフィンランド観光にくる場合は、博物館や美術館、ムーミンワールドにアウトレットと楽しいところはまだまだあるのでもう数日余裕があった方がいいかもしれません
ストックホルム-ヘルシンキ1泊2日の船旅
こんにちは!現在2カ国目ヘルシンキにいますTomoです
ストックホルムには随分長くいた気がしますが、思い出と悔しさいっぱいのメトロと運河に別れを告げ
次の都市ヘルシンキへ向かいます
この2ヶ国は空路でも多くの便で繋がっていますが今回は安さと(1泊分の宿代が浮く)、僕自身が飛行機より船好きなことからフェリーで移動することになりました
ストックホルム、ヘルシンキに加え後日訪れる予定のエストニアのタリンと3都市が4社のフェリーで繋がっています
今回はとにかく1泊というのが大事だったのでタリンク&シリヤラインを利用
やっとシャワーを浴びれる!
アーランダ空港はとても快適だったんですが、とにかく寒くて朝方トイレの水で髪を洗う気にはなれなかったわけで
やっぱり寒いのは嫌です
そもそも僕が東京の大学に出たのは寒いのが嫌だからってのも半分
冬に帰省しないのも、夏は毎回帰省するのも、一重に寒いのが嫌だから!
どうして北欧に来てしまったんだろう。
気温だけ見ると北海道と大して変わらないように感じますが、海と極が近いので、日照時間等相まってかなり寒く感じます
朝起きて
時間までは飽きもせず図書館に通ってのんびり
外に出るとどこからか歌声が
前日は気づかなかったんですが図書館の隣には高台の公園が!
ストックホルムを一望できる穴場スポットでした
歌っていたお姉さんに声をかけてフェリー乗り場まで1時間ほど歩く(写真右下)
つかない。歩けど歩けど全然つかない。
フェリー乗り場って看板からターミナルまでの歩道橋の長いこと
そして乗船
あれ?間違えたかな?
すごく豪華客船に乗り込んでしまった
カジノにクラブにプール、ファッションにジュエリーショップに免税店
吹き抜けのオシャレな作りで、レストランが4つバーが4つ
バックパッカーなんて周りにいないしみんな家族連れだし
とにかく部屋に荷物を下ろして1回冷静になろう
と思ったら部屋はちゃんと車より下の最下層(2階)でした。よかったー。ん?よかったのか?
新潟-北海道のフェリーに慣れてる僕からすると、最下層でも個室でシャワーがついてるなんてこんな贅沢なことは無い
三日ぶりのシャワーも踊りだしそうだけど、とりあえず全施設見て回ろう
ジャズバー、ワインバー、ビールバー
寿司屋、フレンチ、ビュッフェ、カフェ
さて、今日はどのレストランにしようかな〜
はい。これです
昨日の残り物と25円のパン沢山、まさか北欧まで来て30%offの食パン買うとは思わなかった
いいさ、最下層で乗組員生活の方が気が楽だし!
フィンランド人が握った寿司なんか食べたくないし!
泣きながらもはや小麦粉で作られているか怪しいくらい硬いパンを噛みちぎり、三日ぶりの洗濯に精を出す
コインランドリーなんてないので手洗い
それでもなんとかこの船を楽しめる方法を考える
だって豪華客船のWiFiも届かない部屋で寂しい夕食とシャワー浴びてた話なんて面白くないでしょ?
とにかく賑やかな階を行ったり来たりしているとなにやら行列を発見
免税店(ほんとに何もかもあって百貨店みたいな広さ)のオープン待ち
買う気は無いけど時間はあるから並んでみる
オープンと同時に多くの中国人に紛れてなだれ込む
これだ!!!!
カジノとナイトショーのステージが始まるのは20時、あと2時間半!
急いで7階から2階まで下り、餞別にもらった10€札を1枚握りしめて免税店へ
4.5€のアフリカワインとせめてものつまみにヘラジカの缶詰4.4€を買ってまた2階へ駆け下りる
部屋でいつもの3倍しっかりシャワーを浴びて唯一残っていたキレイな服に着替え免税店へダッシュ!
テスターのヘアワックスと香水を人目も気にせず大量に使い、お酒の試飲コーナーを順番に回る
ジン、シードルが3種類、ウィスキー
そして部屋に戻ってワインとヘラジカを用意
まるでそれまでバーで飲んでいたかのような最高の気分でショーに参加出来る!!
・・・ヘラジカが思ってたより臭い
鹿肉は知ってたからあらかじめ思ってる3倍まで臭くても耐えられるように鼻の準備してたけど、ちょうど3.1倍臭い
鼻をつまんで口に放り込む
うまい!
たぶんヘラジカが美味いんじゃなくて久しぶりの肉だから上手い!臭い!上手い!臭い!
こんなジップロックの使い方したくなかったけど、今日の安眠のための犠牲
さぁ20時!北欧の美人の踊り相手を捕まえに行くか!
フリーの人なんているわけ無かった。街のクラブじゃないんだから。
みんな家族かカップル。お酒を奢ってくれそうなおじ様も居ない。
余ったクローナとお釣りの1€を混ぜてビール一杯をちびちびとすする。(国境なのでどっちも使える)
誤解のないように、ショーは最高でした。
ダンスにジャズ、バンドの演奏では様々なカップルがダンス
恋人、パパとママ、パパと娘、姉妹、赤ちゃんとお母さん
唯一話しかけてくれた三児のパパはフィンランド人で、田舎に住んで小さな島をひとつ持っているらしい
使えるフィンランド語教えてって言ったら、kiitos(ありがとう)、perkele(やばい、fuckのような怒った時ミスした時驚いた時いつでも使える言葉)を教えてくれた。まぁ後者は使わないだろうな
踊り相手もいないので(いても踊れないけど)カジノを眺める
ん?
ブラックジャックの台に目が止まる。使っているカードはbicycleで見たところ7組、カードは全て終わるとシャッフルして戻している。カウント出来そうだしAの1枚2枚ならBeeじゃないから目で追える
しかもディーラーが変わって手さばきは遅くなった
これ行けるな。ここで100€くらい勝てばストックホルムの借りを返してフィンランドでレストランに入れる!
(カジノのブラックジャックはディーラーの行動が全て決まっていて確率論で5分ですが、スプリットなどの手段がある分、そうそう大きく負けません。残りのカードを数えて賭け金を調整するゲームです。理由多々ありまず普通のカジノでは出来ませんが)
ふとカジノが大嫌いな友達の顔が頭に浮かんだのでやめました。
いくら勝率が高くても100%はないわけですし、賭け事なんてするもんじゃないですね。
代わりに、さっきのフィンランド人のパパのところへ行って子供たちにマジックしてきました
大人しくショーを終わりまで眺めて就寝
すごく疲れた
けど誰より安く楽しんだはず
部屋がヘラジカ臭い