世界と闘う女の子
旅の記事が溜まっています
書きたい出会いも場所も山ほどあり、書く時間は少なく
そんなことは棚に上げて観光から少し離れて皆さんに読んで欲しい記事を書きます
普段なら流し読み大歓迎の半日記ブログですが、今回に限り時間が無い方は戻るボタンをどうぞ
最後まで読んでいただける方はこの先をどうぞ
マンダレーで出会ったイタリア人女性サラ(Sara santarelli)
22歳の若き写真家でこちらがそのホームページ
彼女の作品である写真やイラストが見られます
宿の屋上にて
彼女との会話の1幕より
実はサラ、写真家だけでなくバングラデシュの女性人権活動家としても有名人
若き活動家としてイタリアでインタビューなんかもうけています
バングラデシュはこちら
インドから分離独立したヒンドゥー国家です
ヒンドゥー教の強いバングラデシュでは教義に基き男尊女卑が近隣諸国に較べても顕著
「バングラデシュではドラムと女性はいつでも好きな時に叩いていいものと言われてるの」
インドの記事でこんな写真を上げたことがあります
チャイを飲むための使い捨て陶磁器
この陶器の意味をサラが教えてくれました
「インドの人はあの器を飲み終わったら必ず割って捨てるでしょ?
あの陶器はね、カースト(身分)の違う人が、間違えて自分の使い終わった器を使うことがないようにああしているの
彼らにとっては身分の違う人が自分のものに触ること自体不快なのよ」
確かにインドは今でも障碍者や元奴隷身分の人への差別が激しいです
穢れた人に触ることがどれだけ忌み嫌われているか、その場面に出会った時に思ったことは
「そうか、この人はインドでは人じゃないんだ」
です
当時この陶器について理由も知らなかった僕は「おしゃれ」なんて呑気なことを言っています
バングラデシュにおける女性の結婚年齢は早い場合で11歳
日本でいえば小学五年生になります
女性と言うよりは少女という年齢
若ければ若いほど男性側への結納金が安く済むということで、親も女の子はできるだけ早く手放したいそうです
歳を取れば女の価値は下がる。だから価値の低い商品を買ってやる分お金をつけろという、至極当たり前な等価交換です
果たして誰が11歳の女の子の値段を測れるのでしょうか
結婚が上手く行けば万事安泰かというとそうではありません
バングラデシュの法律では、既婚女性の権利が著しく無視されているため、結婚後も怯えながら生きていかなければなりません
バングラデシュの属人法は宗教によって異なります
ムスリムやヒンディーの場合「離婚」=「全財産と人生を失うこと」
唯一女性側からの離婚を認められているキリスト教でさえ、男性は妻の不倫を虚偽申告すれば成立するのに対して女性は、2年以上の遺棄、獸姦、レイプ、近親相姦などを不倫に加えて立証しなければなりません
冬の夜に一日中裸で立たされた女性、夫に酸を飲まされた女性
問題はこの残虐な行為が法律上罰せられていないことです
レイプ後の殺害、自殺
持参金の不足による殺害事件が後を絶たないことは、国会議員の女性割合をいくら増やしたところで問題の解決にならない事の裏付けです
彼女の主な活動はそんな家庭から逃げてきた子供の保護と女性への教育支援
今年その施設出身で博士号を取得した女性がいるんだと語るサラの目は、彼女もまた22歳の少女であると僕に気づかせないほど、深く世界を見ているように輝いていました
日本はそんなに他人事でもありません
大学医学部での女性一律減点問題、国会議員の女性差別発言、そして世界に恥ずべき痴漢大国として有名なこと
残念ながら、他の先進国でもそのくらいはあるよね。と言われればNOです
誇るべきGDPもものづくり技術も悪しき習慣の前には霞みます
彼女の活動を語る上で、本当は彼女のインタビューを直接紹介するのがいいんでしょうが、残念ながら僕はイタリア語がからっきしなので、せめて彼女の語った言葉を訳します
「インタビューや講演をする時、必ず言うことがあるの
私はみんなに偏見を持って欲しいわけじゃない。
バングラデシュの男性を軽蔑して欲しいわけでもない。
ただそこに助けられる子供たちがいること。その子達は何も教えられることなく、道具として社会に縛られていることを知って欲しい。
宗教も文化も簡単に変えることが出来ないのは分かってるわ
でも、私はこの現状を見た時どうしても我慢できなかったの」
彼女は目の前の僕に分かってもらうために、自分でも言うのが辛いような強い言葉を使うことがあります
的確な英語を出てこないために言葉に詰まることもあります
そんな時彼女はきっと自分の見てきたものを頭の中に思い出しているのでしょう
同時に、僕はひどく残酷な質問をしているような気分になります
彼女が必死にひねり出した言葉を聞いた時に、僕は「助けて!」という声を聞いた気がしました
もちろん僕に向けられたものでありません
きっと今すぐにでも「どうして誰も助けてくれないの!」と叫びたいでしょう
22歳の少女が世界と闘うとはそういうことです
それが出来ないことも無意味なことも知っているのです
誰のせいでもなく、ただ彼女がその場に居合わせてしまったから、見てしまったから
普段は夜行バスでウトウトしながら記事を書いている僕ですが、この記事だけは何度も何度も書き直しました
強い言葉と残酷なストーリーで皆さんの同情を買うことも出来るでしょう
しかしそれは彼女が求めていることではありません
書いていて、彼女が僕に話していた時の気分がわかった気がします
「ただ自分の見聞きしたことをそのまま伝えたい
ただ共感して欲しい」
このブログのアクセス数は一日に約100デバイス
携帯とパソコンで2度見してくれているコアな読者さんはいないとすると100人以上が読んでくれていることになります
もし皆さんがこの記事を読んで僕と同じように今眉をひそめているのだとしたら、この記事はきっと電車で視界に入るだけのポスターよりも少しは仕事をしたのでしょう
助けが必要な人は世界に溢れています
被災・病気・貧困・差別
貧乏旅をするとそんな見たくないようなものもたくさん視界に入ってしまいます
一度に皆を助け出すことも、確信的なアイディアで問題を根絶することもできません
でもそれは諦める理由にも見捨てる理由にもなりません
誰に向ければいいか分からない怒りも、手の届かない悲しみも、大切な感情と経験です
これまで見てきた数々の素晴らしい世界の裏に、そうした隠れきらない闇があるとしたら
そのために闘う人達はきっと偽善でも犠牲でもなく、この世界の一端として役割を担っていく必要な人達なのでしょう
彼女の活動が大きな輪となり、笑える子供たちが1人でも多くなることを祈ります
僕の知る限りの英語でこの感情を表現するとすれば
''The world is malicious, disorderly, tastelessly and indecent, but still just beautiful''